発行・ライブハウス/渋谷アピア
アコースティック情報誌「あたふた」 Vol.101 2005.8月号

ヨンマルの新人になるまで
カワカミアラタ

 渋谷アピアのステージに初めて立ってから1年半が過ぎた。自分は40歳になってからアコースティックギターなるものを弾き始め、コードはおろかチューニングすら良くわからないまま、というかわかる気がないまま、何の脈絡もないのに何故かサビが英語になるような歌を作っては、こっそりボイスチャットとかで歌ったりしていた。ヨンマル(40歳)になって歌の世界で世に名を馳せているでもなく、ましてやそれでメシ食ってるわけでもないのに、「音楽をやっています。歌ってます。」なんて、恥ずかしくて言えるかよ!だったわけである。だから、こっそりひっそり、それでもネット上に人が集まるようになって、イイ気になっていた「カン違いくん」であった。

 ある日の事、島根でOLをしながら音楽活動をしている女性の事がネット上に出ていた。年齢も自分とさほど変わりはない。脳天をカチ割られたような衝撃だった。メジャーレーベルからの執拗なオファーをすべて断り続けて、断固としてコマーシャリズムに則らない音楽を続けている姿勢を見て、歌を歌うのに職業が何であれ、年齢がいくつであれ、恥ずかしいなどという事はないじゃないかねーかよ!胸を張って音楽やっていますと言って良いんじゃねーかよ!早く言えよコノヤロー!と思ったわけである。後から、恥ずかしくなったのは、歌を歌う自分ではなくて、売れないのに歌う事に疑問を感じながら、それでもコソコソとやっては人気者になったような気分の自分自身だった。

 そして、ようやく渋谷アピアのオーディションを受ける決意ができたのが、ヨンマルの終わりの暮れだった。自分よりもはるかに若い人たちがオーディションに来ていた。予想はしていたが、これは、もしかしたら、ココでは一番年長の存在になるかもしれないなぁ、と思ったりもした。いや、オーディションに受かっての話だが。。。若い人たちに囲まれて足がガクガクが震えるほど緊張していた。「ま、何人かやるところを観て気持ちを落ち着かせよう。」そう考えた矢先、「カワカミアラタさんからお願いしまーす!」の声。「なんだとっ?年寄り順かよ!!」ガクガクの足のままステージへ。すぐさま弦を切る。しかも2本もだ。「何て事だ。年寄り順とかでやるからだぞ!」とアピアのせいにしたりしたが、よく考えると(いや、考えなくても)あいうえお順だったのだ。

 インディーペンデントという世界。今でいうところのメジャーの予備軍のインディーズではない。そのインディーペンデントの台頭たちが幾人も蠢いているのが、「渋谷アピア」だった。40年間も生きてきて、その存在を全く知らなかった。ライヴハウスといえば、何かこう、ネオン管とかビカビカで、アメリカンナイズされていて、何かこう、やっぱりサビは英語で、「ベイベー!」とか言わなくちゃならないような雰囲気のものなのだと思っていた。そもそもアコースティックギターの弾き語りなど、ロックとかバンドの出来ない軟弱なハナミズ野郎の音楽だと思っていたわけで、「渋谷アピア」に出食わしてからというもの、特にほぼマンスリーでアピアのステージに立つようになってからというもの、カチ割られた脳天にさらにストローを挿して血を吸われるような思いがした。剥き出しの、のっぺらぼうの個性をいくつも目にして、偽飾され、ある種のギミック効果で売り買いされる個性など、すべてマヤカシに思えた。そして、ココでは一番年長の存在になるどころか、ヨンマルにして、身体は古いのに新人、「ヨンマルの新人」になっただけだった。渋谷アピアにはゴーマルやらロクマルな人たちがぞろぞろ居て、観たことも聞いた事もない衝撃を自分にくれた。本物とは何か。本音とは何か。ヨンマルの自分は42歳になりました。なりましたけれども、ゴーマルやロクマルの大御所に比べたら、自分なんかハナタレいいところなわけですよ。

 ワーキャーピー言われる世界もイイかもしれませんが、アジア唯一の本音(本物の音)の発信地である渋谷アピアのマスターに「お前の歌なんかハナクソだ!」とガツンガツン言われる日々の方が、オレには頬ずりしたいほどに愛しかったりするわけです。そんなわけで、まったくの未完のミケランジェロ、カワカミアラタは今こうして渋谷アピアで、自分にしか出来得ない歌世界の表現を目指して歌って居ます。どうぞライヴにいらしてみてください。



カワカミアラタ アピアLIVE 9月17日(土)
カワカミアラタ・オフィシャルウェブサイト
http://arata.edap.jp/

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