発行・ライブハウス/渋谷アピア
アコースティック情報誌「あたふた」 Vol.101 2005.8月号

神の名の下にイラクでは戦争が、一方神の名の下で愛を実践した人間マザーテレサがいた
映画「マザーテレサ」8月より公開
8月13日(土)より日比谷シャンテシネほかにて全国順次公開

 
鋼のような強い意志を持ち、海のように深い愛を秘め、不可能を可能にしていった一人の女性。親を失った子供たち、貧しい人、病んだ人、死を待つだけの見捨てられた人のために希望と愛を与え続けたマザー・テレサの、36歳から87歳でなくなるまでの姿を描いた感動作。演じるは、オリビア・ハッセー。 マザーを演じるのが生涯の夢であり女優としてのこの十数年来待ち続けた映画の完成だという。アピアの出演者であるTETSUがマザーテレサのもとでボランタリーの活動に参加しておりその一端を書いてもらった。


マザーの声が絶え間なく聞こえてくる
TETSU

 『アイデン&ティティ』 もう何度か、「あたふた」にはカルカッタのマザーテレサのボランティアで得たかけがえのない思いを書いてきたが、深く染みるように刻み込まれた熱い思いは何度書いても到底書き切れるものではなく、これからも機会あるごとに書かせて頂きます。それは語るに言葉も足らない、言葉にならない体験が多くあったからだ。
 その場から遠く放れた今でも、懐かしく思い浮かべるいくつかの風景がある。その中の一つに、私の仕事場であったシアルダーステーションがある。私はここでステーションワークをしていた。それは駅や駅周辺に住む貧しい人達のために、食べ物や衣類をあげたり、その場で出来る簡単な治療などをしたり、瀕死の患者や長く治療が必要な患者をマザーの施設に運んだりしていた。
 私達がケアをする貧しい人達のなかには精神障害者が多い。一度治療して、また来るようにと約束をしても、それを守れる人は少ない。傷を治そうとする意思すらを持てない人がいたり、傷の痛みや空腹、あらゆる苦しみをドラックで紛らすしか仕方のない生活をしている人もいる。このインドの貧しい家庭では精神障害者も身体障害者同様に食べさせることが出来ないのが厳しい現実なのだ。そして、空腹を満たすよりドラックの方が安いのも現実だろう。その良い悪いなど論じても仕方がない、彼らには必要なものなのだ!!。
 シアルダーの駅の構内に入る前に、私はバスーターミナル、オートリクシャー、タクシーの乗り場、駐車場を歩き回った。
 この駐車場横にはゴミの集積場があり、酷い悪臭が漂うなか、その近くには信じられない事だが、50人から多いときには80人くらいが早朝からしゃがみ込んでドラックをしている。とてもケミカルで安いブラウンシュガーだ。現地の言葉ではパターという。ここでは主に鼻から吸引かパイプでの摂取をしていた。もちろん、注射器でやる人もいる。そして、腕に傷を作り、その傷口に薬を馴染ませるやり方もあった。
 そんな状態を警察が許すわけもなく、駐車場からジャン
キー達を追い出すために、二、三人の警官が毎朝こん棒で容赦なく彼らを叩きまくっていた。それは時に地獄絵のごとく残酷なものだった。この風景は私に何を告げているのだろうか?考えることすら拒否せざる得ない思いだったのだろうか?しかし、変えようのない現実を目の前に言葉にならぬ痛みだけはしっかりと胸に突き刺さっていた。
 どうして、ゴミの集積場近くでドラックをするかといえば訳がある。その汚い場所まで、警官や普通のインド人は入らないからである。他にも公衆トイレの横、糞尿があるすぐそばでジャンキーが集まりドラックをしているのだ。
 駅を回っている時には十二歳ぐらいの子供がドラックをやるために切りすぎた腕の傷を治療してくれと笑顔で近寄ってきた。あどけない笑顔には罪の意識などはないが、私には笑顔を通り越した向こう側に厳しい現実と暗い未来がありありと見えた。しかし、今思えば、それは私が私自身の価値観で勝手に見ただけであって、彼が見たのは私の愛だったかもしれない。二人の間にはその時、悲惨さなどはまったくなく、笑顔があった。それは愛によって繋がりを見せていたのではないか?そして、そのことに私自身が気付かずにいたのではないか?と思ったのだ。それは、きっとこんな理由が当てはまるからだろう。
 治療を終えると、子供が人懐っこい笑顔をしながら、食べ物を要求してきた。私は「判っているだろ」とでも言わんばかりの顔をして断ると、彼は残念そうだが笑顔で素直に走りかえっていった。子供の後姿を見送っていると、私の心を襲う自問が溢れ出てきた。
 「どうして、パンぐらいあげないんだ?」「どうして、チャイの一杯もあげることが出来ないんだ?」「そのくらいは出来たんだろ?お前には愛があるのか?」
 私は苦しみながら答えた。彼は笑顔を持ち、自分を大切に持っていたからだ、歩けたからだ、友達がいたからだ。しかし、気が付けば、それは言い訳でしかなかった。私は多くの言い訳を私自身にしていたのだ。私が持つ食べ物は貧しい人達の中でも、もっとも貧しい人のためにあるのものだと気負いすぎていたのは確かだ。何よりもその子供との愛、その時、その瞬間、一期一会を大切に出来なかった後悔の念があった。一方の方向からしか物事が観ることが出来なかった愚かな私がそこにいたのだった。
 最近良く思うことがある。自分と真逆の生き方をしている人のことを大切に思えるか?愛せるのか?理不尽な行いをする人、自分にすら敵意をあらわにする人、見るものすべてに否定的な人、相手を傷付けることによってしか自分の存在を認められない人!! このような人達を理解しようと出来るのか?否定し拒絶することは簡単である。しかし、それは現実をも拒絶することになりかねないのでないか?それは実は彼等と同じではないか?なぜなら、否定を否定で返し、痛みに痛みを持って返しているだけにならないか?これではどこまで行っても愛はうたえないと。
 そんな時の心の中を覗けば、他人を否定し拒絶し罵倒する武器が何個もあるのではないか? まずはその武器があることを自覚理解し、ありのままの自己を受け容れてから、一つひとつ、その必要ない武器を捨てて行けたら考えるのだ。心の中に武器がある限り、愛は輝かない。そう考えらるようになった。
 愛がなかったり、夢がなかったり、希望がなかったり、友達が持てなかったり、自分の気持ちを上手く伝えることが出来なかったり、孤独でいるしか仕方がなかったり、人を信じることが出来なくなったり、自己を守るために何層もの仮面を付けたり、そうしたくなくても、そうしている人がいる。そうせざる得ない思いがその人にあるのではないか?その相手の思いを思いやり、相手の痛みをも理解しようとする気持ちが何よりではないかと思うのです。
 「あなたはわたしではないですか?」自問したりしてみる。
 一瞬、脳裏をシアルダーの風景が包む、すべての熱い思いが年月を重ねるたびにゆっくりと魂へろ過され洗練されたものとして受容できるよう、会得して行きたい。私が生きた証しを私が宝物として大切にすれば、痛み苦しみを本心から乗り越えていけるように生きていけるのだろう。そして、また人を愛していくのだろう。天国からのマザーの声は愚かな私には絶え間なく聞こえてくる。

P1 P2 P3 P4 P5 P6