発行・ライブハウス/渋谷アピア
アコースティック情報誌「あたふた」
Vol.99 2005.6月号
Brogressive note vol.2
煙草の煙が見える音がイイ。
アピアマスター 伊東哲男
商店街をぶらりと買い物をしていて、ふと小さなレコード店が目にとまり、なんとなく懐かしい気持ちで中に入ってみた。タワーレコードとか大型店は何でも揃っていて便利だけど、恋人と出会える感じがしなくてイヤだ。小さな店には世の中何万枚とあるCDの中から、店命を賭けて選ばれた音楽が置いてある。そんな店の方が素敵な恋人と出会えるような夢が持ててワクワクする。
最近は本屋でもみなBOOKセンター化しちゃって文化の香りがなくなっちゃた。きっと娯楽なんだろう。なんで
誤
楽と書かないのかなぁ?本屋の品揃えの傾向を見るだけでも楽しいし、入り口付近にはどんな本がどんな風に並べてあるかとか、奥の方はどうなんだとか仕入れ担当の番頭さんの読みと腕とプライドがみてとれてそれだけでも微笑ましい気持ちになる。例えばヌード満載の雑誌が入り口付近に山積みとなっている店は、
爆破すべき
本屋だ。
そうすべきではな〜ィ
本屋は、朝日新聞の読書欄に紹介された新刊書がすぐ目に止とこに並べてある店だ。そんな店が少なくなったなぁ、三上さん・・・。
そんなことをひとり思いながら、その小さなレコード店、いや、CD SHOPの棚を眺めていると、一枚のアルバムが目にとまった。マイルス・ディビスの「WALKIN」だった。中学生の頃、アナログレコードでさんざん聴きまくったヤツじゃないか。1950年代ジャズ、ハードバップの草分けとなった名盤だ。1954年の録音だから俺が6才の頃か・・・。マスターテープから20bitでスーパーコーティングされた復刻版だ。ドンナ音ガスルノダロウ?と、つい衝動買いしてしまった。20bitで起こされたといっても、CDは16bitだから結局は変換されてるわけだし、まぁ編集のリスクが多少軽減されているという事か?、などと思いながら聴いてみた。
「煙草の煙が見える」
音だった。耳障りのいい暖かな音は昔と変わりなかった。最近のCDばかり聴いているとチクチクしなくてホッとする。音がこもって聞こえるのは煙草の煙なんだと思った。俺の6畳間は50年代のジャズBARに変わった。ステージから8メートルぐらい後ろの席にイマ俺はいる。薄紫の煙草の煙の向こうにマイルスがいる。俺は冷蔵庫からビールを取り出し、ひとりマイルスに乾杯!! ホレスシルバーのピアノにイェ〜ィ!! あれ!20bitはどうだったっけ・・・。
最近部屋でかける音楽はジャズとかインストものが多い。仕事柄毎日が歌、歌、の連続。詩が言葉が頭の中に満タンになってくる。たまに違う風に吹かれないと自分の言葉が引っ込んでしまうから。それにしてもジャズはちょっとヤバイ。家にいる時ぐらい煙草を減らそうと思っているのに似合いすぎるぜ!
社会的な差別の中でその地位の向上と共に黒人たちが自分の気持ちをストレートに表現出来るようになった、その自信と喜びとパワーが展開する50年代。そう、イマ我々は
自分の気持ちをストレートに出せる
ンだよね。ブログもあるし、ホントだよね。ホントかなぁ、ホントにすがすがしく吐き出せているのかなぁ?。
そう言えばマイルス聴いてて、突然思い出したけど、アピア始めた頃はCDって無かったんだよね。オープンテープは業務用、カセットが民生用だった。レコード店にはミュージックカセット、LP/EPレコードかソノシートが並んでいた。82年にソニーが日本初のCDプレヤーを確か16万円ぐらいで発売したのが始まりで、たった10年ぐらいでレコードと入れ替わってしまった。驚いた。CDプレーヤーが普及し始めた頃はレコードはレコードで無くならないと思っていたのに。1887年にエジソンがレコードを発明して以来100年、音楽の歴史と共に進化し改良されてきたアナログレコードの呆気ない終末、最高にいい音だったのに最後は。デジタル化してからは矢継ぎ早だった。DUT、MD、CD-R、MP3、i-pod、何!今度は
SACDだオーディオDVDだって
、誰かもう聴いたヤツはいるか?次から次へと次世代・・・、次世代・・・、一体、
ソフト
はどうなるんじゃーとブログれたい。
こっちはやっとCDで録音するコツとシステムを整えたというのに!前にもあった。ビデオが出たときVHSとベーターと規格が割れていて、俺はプロユースはベーターだったのでそちらに乗ったら負けて消えちゃった。見られなくなったテープがごろごろしている。パソコンもグラフィック系はMACだというのでそちらにしたら機器は高いはソフトは少ないは泣けてくる。DVDやっと買ったら今度は次世代光ディスクだって。青紫レーザーだ何だとまたもや規格割れか。テレビだってハイビジョンだデジタル放送だでもうすぐイマまでのアナログテレビは見られなくなる。デジタルの宿命なのか?美人短命は!! パソコンに象徴されるようにすぐにバージョンUP、OSチェンジで3年もすると周囲と対応しなくなる。オジンだから速い流れの時代について行けない訳じゃない。
頭はいくらでも革新的になれる
。若いヤツだって
保守的なのは体のほうさ
。俺は嫌いな魚を50年かかってやっと食べられるようになった。絵描きだって日本画家に洋紙を渡してこれに書いてみろ、和紙より20bitのきめ細かさだよって言われたって、はぃ、そうですかとはいかない。音だって同じだ。カセットに録音するのとCDではまるで違うのだ。
デジタル機器って道具じゃないんだ。
脳の延長
なんだ。トンカチや包丁は
手の延長の道具
だけど。大工さんや板前さんは何年も修行してこのシンプルな道具を使いこなして見事に料理する。
音楽だって料理だぜ!! 料理が巧くなったらきっとイイ唄歌えるんだろう。その逆も真なり。今日商店街に夕げのネタを見つけにいった。どう料理するか色々考えながら、楽しいひととき。家に帰ってマイルス聴きながら包丁をトントン。それがもし、マイコンのクッキングマシーンでピッピッー、ザザーだったら、買い物の楽しみも半減だ。やはり俺はトントン、カタカタと音のする夕焼けの臭いが好きだ!
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