発行・ライブハウス/渋谷アピア
アコースティック情報誌 Vol.99 2005.6月号
特集/遠藤ミチロウNEW CD ALBUM「I.My.Me/AMAMI」、伊東玲育「AMAMI発売によせて」、若松孝二・映画「17歳の風景」、さねよしいさこ「2005初夏のツアー」、伊東哲男「Brogressive note Vol.2」、松浦キノコ「しもネタにうんちくありやなしや」、アケンコ「アケンコのCD」


遠藤ミチロウNEW ALBUM
ENDO MICHIRO
I.My.Me / AMAMI

奄美はあっさりボクを少年にしてくれる
遠藤ミチロウ
  ボクはどうして「島」が好きなんだろう。山国の盆地に育ったせいか、「島」には特別の思いがある。あこがれのような夢のような。だからときどき現実離れしたようなことを考えると「島」にぶちあたる。子供のころ「ロビンソンクルーソー」や「十五少年漂流記」とかの漂流、サバイバルものにはいつも心がワクワクさせられたし、今でもライブでどこどこの島に行くとなると、妙に気持ちが高ぶる。
 ツアーでいろいろな島に行ったけれど、なかでも特に因縁めいたものを感じたのが、奄美大島だ。因縁といったら大げさかも知れないけど、ボクの無意識の中枢に共鳴する何かがあった。それが何なのか、今だにはっきり言い切れないのだが、対照的なのに根っこが継がっている矛盾した気分とでもいおうか。安らぎと怖さをどちらも味わってしまうぜいたくな?島だ。
 鹿児島と沖縄のちょうど中間に位置する奄美大島は、亜熱帯気候の北風。大きさはちょうど佐渡島くらいで、手付かずの原始密林が残ってたりして、「日本のガラパゴス」と言われたりもするのだが、島の中心の名瀬市(人口約3万人)には、バーガーショップもコンビニもある。そしてライブハウスもある。そのライブハウス「ASIVI(アシビ)」(島の言葉で”遊ぶ”という意味)が7年前に出来たとき、一番初めに唄いに来たツアーミュージシャンが偶然ボクだった。何か、「ASIVI」が待っていてくれたような気がして、ボクはすっぽりはまって「AMAMI(奄美)」に恋をしてしまった。
 それ以来、奄美のことをいろいろ知るにつれ、何故ボクがそんなに惹かれるのか、不思議だったナゾが、少しづつ解けてきた。初めて奄美に降りて、街を散策したとき感じたなつかしさ。砂糖きび畑や、パパイヤやバナナ、ガジュマルの木などの南国特有の植物を、空港から来る途中沢山見て来たのに、名瀬の街に入ったとたん、まるで自分の田舎の街に帰ってきたような錯覚さえ覚えた。しかも、名瀬は港町、二本松(ボクの田舎人口3万)は盆地の城下町。何から何まで対照的なのに、妙になつかしく感じてしまう。ボク自身めったに田舎に帰らないけれど、久しぶりに帰るたびに街が変容してて(特に周辺部)、なつかしいより、別な街に帰ってきた感じがあるほどなのに。名瀬にはボクの止まった記憶の”幻の田舎”が、今に続いている。ボクは、少年にもどった時のような気持ちで、街じゅうを歩きまわり、自転車に乗って、大きな墓地に行ったり、防波堤で大型フェリーが出て行くのを眺めてたり、公園の野良猫におやつをあげに行って猫おばちゃんと話し込んだり。いろんな街に沢山行ったけれど、こんなにあっさり少年にしてくれたところも珍しい。
 「ASIVI」の麓くんたちが連れて行ってくれた、金作原の密林や、映画「男はつらいよ」の最終回の舞台になった大島と隣接する加計呂麻島などの奄美の自然は素晴らしく、絶対手つかずのまま残って欲しいけど、一人では入れそもうもない怖さを感じてボクは、独りで少年になってしまう。奄美で感じた、安らぎと怖さを同時に味わえるぜいたくさとはこのことかも知れない。「Just Like a boy」な島なのだ、ボクにとって奄美は。
 琉球と大和のはざまで、歴史的に(政治も文化も)過酷な時代を長く経てきたせいもあるのだろう。沖縄にはない、奄美特有の哀愁を持った島唄のメロディーはボクをなだめてくれる。一度、麓くんに奄美の特徴は?と聞いたことがある。そしたら「中途半端なことかな?」って苦笑いしながら答えてくれた。琉球でもない、大和でもない、でもどっちでもあるみたいな、気質。そのやるせなさは、もっと早い時代に大和の植民地になって同化して日本になったらボクの生まれた東北に似ている。どっちでもない中途半端な存在が実は、両極端の対立を相対化して、新たな展望の糸口になることもあるんだとボクは信じている。だから「AMAMI」の持っている中途半端さは、ボクの無意識にとって居心地がいいんだ。
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