発行・ライブハウス/渋谷アピア
アコースティック情報誌
Vol.97 2005.4月号
ラスベガス年越し紀行
宮良杏子
2005年1月1日、私は生まれて初めて日本ではない国で年を越した。確か去年はアピアの客席で南 正人さんのカウントダウンを聞いていた。まぁどこで年を越そうが1年の始まりは変わらない。最近では時間だけがどんな状況においても淡々と同じリズでながれてゆくことが無性に腹立たしい。今に始まったことではないし私がどうにかできるわけでもないので仕方がないのだ。いや今はそんなことはどうでもいい。
日本ではない国とはアメリカのことだ。私は12月25日から1月3日までアメリカに行ってきた。目的地はラスベガスとオースチン。オースチンには親戚が暮らしている。旅行用品よりはるかに多いお土産を詰め込んだトランクを抱え私は成田を後にした。
ラスベガスの街はどでかいアミューズメントパークのようだった。きらびやかな電飾に包まれた街。明るさだけなら夜のほうがはるかに明るい。私は田舎から出てきたばかりの学生のようにこの迫力に圧倒されていた。ラスベガスではカジノにも挑戦した。出発前に「億万長者になってくる」と言った私の宣言を神様はどうやら聞き逃していたようだ。
以前この街は砂漠の中のオアシスだと聞いたことがあった。確かに車で20分も走れば砂漠の景色が広がる。私は日本から持参した中島みゆきのCDを聞きながら時速80マイルで砂漠の中を爆走した。何だか自然が本当に自然過ぎて、ここでなら裸になれそうな気がした。砂漠はラスベガスの街中と違い夜になれば真っ暗になる。唯一の明かりは車のヘッドライト。暗闇は苦手だ。はるか向こうに街明かりが見えたとき安心した。どんなに強がってもきっと私は人の明かりの傍にいたいんだなってね。
オースチンはテキサス州にある街だ。この街は音楽にあふれていた。それを特に感じたのは大晦日の夜だった。この日私は夕方からダウンタウンへ向かった。既に日は落ち人々は新年を前に大興奮。道路をはさんで両側には数え切れないほどのライブハウスが立ち並ぶ。どの入口からも大音量の音楽と歓声が響き、店に入れずにいる人々でごったが返している。私も負けじと身体中でリズムを刻みながら街を歩いた。聞こえてくる音がどれも心地いい。こんなにも音楽があふれていることが嬉しくもあり、羨ましくもあった。「すごいね。すごいね」って興奮している私はこんなことを言われた。「日本ではギター弾けるとかピアノ弾けるって言うとみんなすごーく上手に弾けるんだと思うでしょ。上手じゃないといけないみたいな空気ね。ここではねギター弾けるって自慢気に言う人が全然下手くそだったりするんだよ。でもそんなこと関係ないの。音楽が好きで楽しければいい。日本は極端すぎるんだよ」って。
彼女の言葉は痛かった。けれど何だか救われた気がした。そう、今度自己紹介でもするときはこう言おう。「ギターも弾けて歌も唄える宮良です。」ってね。
NEW YEARの朝は意外なほど普通だった。昨夜の興奮は抜けていたし、初日の出を拝めるような時間に目を覚ますこともなかった。せっかくのアメリカ版初日の出が……
まぁいいさ、きっとこれからの長い人生「正月だー」なんて言ってられない時もあるだろうから。でもね、あの夜触れた音楽は除夜の鐘が響く頃、真っ暗闇の心の中にもふっと優しく灯るから。
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