発行・ライブハウス/渋谷アピア
アコースティック情報誌 Vol.114 2006.9月号
音楽事始
どらねこ屋の場合・・・

 高校受験で挫折したボクは、ボンタンはいて髪の毛そめて、真面目に勉強なんてやってられるかい、なんて気持ちで第二志望の学校に行った。ラクガキだらけのカバンにラクガキだらけのクツ。授業もそこそこにプラプラしてた。学校では当然目立って、悪い奴らがチョッカイかいてくる、喧嘩を売ってくる。喧嘩なんてたまんない、痛いばっかりでええことない。だから「オイラはケンカ屋じゃないからさ、ナンパ屋だからね」なんて笑ってたら、なんだかみんなとそのうち仲良くなって、「じゃあ、まぁ一緒にいっちょ何か始めてみようか?」なんて話になって、『ボクシング部』ってのを結成した。結成と言っても正式に学校に認められたもんじゃなく、ただ放課後に近所のお好み焼き屋に集まってウダウダ言っているだけ。ボクは一応そこの部長で、学校で一番ケンカが強いと言われている奴が副部長だった。部員はみんなで20人くらいで、ボク以外はみんなワルでそれなりに名のとおってるヤツばっかり。本当にまとまるのかいなこの連中、と思いながらも、まあ始めたわけでありんす。
 とりあえず部室が必要だろうと、バレー部の部室を占拠して、反射神経を養おうと卓球部でピンポンして、野球部ではグローブを借りてキャッチボールをして、キャサリンがプールに入っているのを見つけては服のままでプールに飛び込んだり、水上ゴルフだと言って木の根っこで作ったゴルフクラブで石ころをプールに打ち込んだり。結構やりたい放題だった。学校の連中はだれも文句も言ってこないし。まぁ、たまには走りこんでみたり、サンドバック代わりに体育館にあったマットを叩いてみたりもしたけど、基本はならず者の集団だった。ボク自身も遅刻早退は当たり前で、進学志望と言っておきながらテストは白紙、授業は放棄、自由はいづくにぞありなむや? なんて石川啄木を気取り屋上でごろごろしてる始末。
 不来方のお城の草に寝転びて 空に吸はれし十五の心。

 だけど、無法は長く続かぬもの。驕れる平氏は久しからず。そのうち体育教官室が『ボクシング部撲滅』に力を入れ始めた。体育授業の始まりに「ボクシング部は授業の前にうさぎ跳び」なんてさせられたり、放課後呼び出されて難癖つけたり、説教されたり。そのうち一人転び二人転び、「ボクシング部なんてやってらんねぇ。今までみたいにバラで不良やってるほうがよっぽど楽だ」なんてみんな言い出して、それでボクシング部は壊滅しちまった。あっけないねぇ。
 そんなこんなで「まあ仕方ないかな」なんて思っていると、元ボクシング部の何人かが集まって「バンドを始めたから見にこないか」と言う。「へえ、すごいやん」なんて山奥の豚小屋か廃倉庫みたいなところに行ってみると、ドラムセットを組んでアンプやらPAやら並べてギターやらベースやらつないで、彼らはブルーハーツの曲をやって見せた。ラフィンノーズのゲットザグローリーをやってみせた。「これはなかなかカッコええやないか!」と他の元ボクシング部員はあっと言う間に感化され、誰ともなく「オレたちも組もうぜ」と言いだして、結果、ボクシング部の残党は3つのバンドに分散して、なんとホンマに音楽活動を始めたってワケ。ボクの組んだバンドはなぜだかその中で一番へたっぴだったけれどそれでもボクシング部の時と違い、後輩の女の子なんかがキャアキャア言って集まってくる。一緒に写真を撮る。電話がかかってくる。クッションやら帽子やらをくれる。「こりゃボクシング部なんかより断然ええやん!」ということになって、音楽をちょっとだけ聴くようになった。これがボクの音楽事始。単純明快、ナンパな人生や・・・。
 その後バンドのメンバーはなぜか突然音楽をやめて“暴走族”とか“走り屋”とかに流れてしまい、以後あまり連絡もなくなってしまったけど、ボクは何だかひとりとどまって。で、そのまま音楽活動を続けているのでありまする。青春やなぁ。


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