80年代に渋谷・アピアを拠点にして音楽活動を続けていたパカッショニストの風巻隆。84年にはニューヨークに滞在し、イーストヴィレッジの路上で演奏しながら、その即興音楽シーンを体験してきた風巻は、帰国後「音とおどりの交差点」というダンスシリーズをアピアで開始する。山田せつ子とのパフォーマンスでは、楽器を固定せず、肩からストラップを付けたタムタムを下げ、舞台でダンサーとの距離を保ちながら音を奏で、黒い平台をスティックでこすって演奏しながら図形を描いていった。そうした経験を通して風巻は、その独特の語るようなドラミングと、独自の音楽を確立させていった。
仔牛や山羊などの革のヘッドを取り付けた風巻のドラムからは、ナチュラルな音色や豊かな倍音、うねりや、ゆらぎといった、さまざまな音の表情が生み出されていく。タイコと呼んでいる片面のタムタムを肩からさげて、その打面を肘やスティック、手、指などでコントロールし、そのタイコ一つで、うなるような低音から、乾いた高音までを叩き分けていく。響き線を取りはずし細かい夾雑物を中に入れたスネアドラムからは、民族楽器のような柔らかい音色とクリアーな倍音が広がり、左足のかかとでピッチをコントロールしていくベースドラムからは、メロディアスなベースラインが立ち現れてくる。
音を何もない空間に散りばめていくようなリズムは、ズレや変化をともなって、聴く者の予測を心地よく裏切っていく。その自由に伸び縮みし、変幻自在に形を変えていくリズムは、けして真っ直ぐにではなくジグザグに進んでいく。それが不安定ではなくむしろ自然に響くのは、そうしたリズムがからだの内側から沸き起こってくるものだからなのだろう。風巻自身も初めてとなる今回のソロ・レコーディングはキッド・アイラック・アート・ホールの企画で2001年3月から始まり、2004年10月までコンサートでのライヴ録音やスタジオの形式で、キッド・アイラックに録音機材を持ち込んで続けられた。
タイコ一つで演奏された「未知の記憶」、シンバルのうなるような低音が印象的な「トワイライト」、ジャズドラマー、デニス・チャールズに捧げられた「デニスへ」、韓国のドラ、ケンガリの音が宙を舞う「満天の星」、日本的な間を珍しく使っている「俳句」、西アフリカの木琴、コギリをカウベルで叩く「ミッドサマーナイト」、マラカスを縦横無尽に振り回す「虫」、11拍子のリズムにタイコが泣きのフレーズをおおい被せる「ホンキートンク・ブルース」、円筒形のブリキのバケツを叩く「遠い空」、シンバルのカップの倍音を響かせる「小さな宇宙」、アフリカのムビラがオルゴールのように響く「子守り歌」ノ。
「ジグザグ」というソロCDで、これまで風巻が作り上げてきた音楽世界が、トータルな形で示されることになった。それは、「どこにもない場所の音楽」とでも言うのだろうか、今・ここではない、どこか遠い場所から風巻の音楽は響いてくる。初めての場所に立って、何故か、いつか来たことがあると感じる既視感にも似て、風巻の音楽は、忘れていた記憶を呼び起こしていく。自分が今どこにいて、何をしているのかが曖昧になったとき、人は、自分というものの深みと向き合っていく。どこにもない場所に立って耳をすますと、自分はもういなくなり、ただそこには、音楽が風景のように鳴り響いている。
2004年10月から、ピアノの新井陽子とのデュオによる「空から木の実、音をたたいてゆく」というプレイング山頭火のプロジェクトで渋谷・アピアに出演している風巻は、一時期、火取ゆきのバックもつとめていた。80年代にアピアで出会った二人は、シンガーソングライターと即興演奏家という音楽のジャンルを越えたところで、共感し、共鳴するものを持っている。火取の歌がひとつの「物語」であるように、風巻の音楽も、ことばを使わずに多くのことを「語って」いく。「ジグザグ」という風巻の作品の向こう側に、火取ゆきの「うた」が聞こえてくる、そんなアピアのファンも、案外多いかもしれない。
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