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発行・ライブハウス/渋谷アピア
アコースティック情報誌「あたふた」 Vol.106 2006.1月号

中欧遊覧記
独り籠城(岡田恵甫)

 
 
夏休みの一か月間を利用して、冷戦期の旧東欧諸国、現在では中欧と呼ばれている地域を中心に、一人ふらりふらりと旅してきました。社会主義崩壊から10年チョイ、これから刻々と変わってゆくだろう風景を、それでも今も昔も変わらんであろう風景を追い求めた。

 まずはチェコのプラハへ。チェコは来年にも通貨がユーロになるという事で、それを証明するように街には資本主義を象徴するファーストフード店、ブランド店がウジャウジャ。街中で建築ラッシュ。“西”の仲間入りする準備は着実に進んでいるようだ。しかし、城下町や旧市街地は、昔ながらの町並みや建造物が残り、昨年訪れたパリよりも私達が抱いているヨーロッパ的なものが生々しくあった。路地は迷路のように入り組んでいて、同じ場所を通っているはずなのに記憶があやふやになる。一向に慣れる事がなく、常に新鮮な町並みが私を楽しませてくれた。城、教会、修道院などの権威的な建造物は絢爛豪華。しかし決して規模は大きくなく、優雅さはあまり感じません。パリやウイーンよりも泥臭いパワーを感じた。プラハには経済力向上の証?でもある物乞いが多く、観光客の集まるカレル橋や旧市街地の道端に沢山いる。彼等は総じて跪き、頭を下げ、手や帽子を差し出していて(それを「プラハ・スタイル」と命名しました)、他の地域の物乞いと違い礼儀が正しい?のです。

 続いて、チェコの南の街、チェスキー・クルムロフへ。15分あれば街を横断できるほど小さな街。赤い屋根で統一された家々、街の中央を流れる小川、そのほとりに建つカラフルな塔が印象的な城が魅力を放つ街。現在の醸造方法はチェコ生まれとの事からか、チェコはドイツ、ベルギーに負けないほどのビール大国。とてもウマイ!そして安い!街ではビールを飲んでいる人が多く、瓶を片手に歩いていると乾杯を求められる事が少なくないのです。夜になると街の至る所から飲み屋の街頭での演奏とデキあがった人々の歓声が聞こえくる愉快な街でした。

 ポーランドに入り、アウシェビッツ強制収容所へ。20世紀最大の大虐殺が行われた場所。着いた時、観光客の多さと意外な綺麗さに観光地化したあっけなさを予感した。しかし、収容所の展示品、遺品、遺影に直面した時、前言は撤回され、その事実に唯打ちのめされるしかない自分がいた。今では閑静な住宅郡とのどかな畑が周りを囲むこの地で約60年前にこのような残虐な事実があったとは到底信じらない。しかし、それが真実である事を、あの部屋一面に広がる彼等の髪の毛…眼鏡…義肢…日用雑貨…鞄が証明しているのだ。

 半日の滞在であったが、ウイーンは本物の貴族とは何なのか教えてくれた。シェーンベルグ宮殿はハプスブルグ家の別荘。とにかくデカイ!建物がデカイ!庭がデカイ!デカくとも全てが手入れされている。庭に丘がある。そこからウイーンを一望できる。それはそれは「世界は自分のもの」と思っても仕方がないほどの眺めなのです。建物もプラハみたいなケバさは全くなく、あっさりした外観なのだが、それが洗礼されているイメージを覚えさせ、王者の貫禄すら覚えます。

 スロバキアの首都・ブラチスラヴァはホントに何もない街。「これが首都?」と連呼して歩く。他の街を歩くもチェコに全てを取られた感が否めない。ただ…女性はNo.1でした。
 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエボ。戦争から10年近く経った今でも傷跡は生々しい。建物には銃痕が残り、廃墟も放置されたままである。しかし、復興のパワーも感じられる。市内バスは日本の援助で作られ、日本の旗が付いている。人々も明るく、気軽に話かけてくる。話題はもっぱら日本製のゲーム。ここまで来るとイスラムの色が濃くなる。イスラム寺院は街の至る所にあり、定刻には街に祈りの声が鳴り響く。他にもキリスト教とセルビア正教の教会もあり、複雑な環境を物語っている。ここで、一つ述べておきたいのは、旧ユーゴが崩壊してから10年経つのに、至る所で目に付く旧ユーゴの旗。そして、ユーゴスラビア人と名乗る人が多いだ。どのような事情なのか知る知識も会話力も無いのだが、まだユーゴスラビアに誇りを持っている人が沢山いるのだろう。反米、反イスラムの意見も沢山聞いた。おそらくまだ戦争は終わってないのかもしれないし、もしかしたらこの戦争は決し終わる事ができないほど複雑な事なのかもしれないと思った。

 岩肌をさらけ出した山々の合間をくぐり抜け、「アドリア海の真珠」の名を持つクロアチアのドブロヴニクに。世界遺産にも登録されていて一大観光地。交通の便が非常に悪いのにも関わらず、沢山の人で賑わっていました。それらの喧騒から逃れ、脇にそびえる小山に登り臨むドブロヴニク旧市街は最高です。アドリア海に沈む夕陽、徐々に明かりが灯り始める旧市街、片手にビアー、最高にロマンティックです。是非、プロポーズはドブロヴニクで。
 スロベニアの首都・リュブリャーナで訪れた美術館では社会主義時代のスロベニアの作品を見ました。どれも暗い色で、ヘヴィメタのジャケット絵をアカデミックにしたような作品達でした。どれも人間の暗い嫌な部分をデフォルメしたイメージを抱かせる作品が多く、気分が優れませんでした。しかし、真に迫ってくる感じが美術館を出ても忘れられない印象として残響音のようにありました。
 
 様々な街を股にかけて旅をする。ヨーロッパではほぼ例外なく都市を抜けると広大な穀倉地帯が待ち構えています。地平線が臨め、穀物の色一色の世界。しかし、陽の傾きようで刻々と変化する色。そこを延々走る鉄道。都市間を移動する鉄道は通過する畑の合間にある小さな駅の駅員は外に出て鉄道を一人見送ります。それが何とも言えぬ哀愁を漂わせる。眠り込んだ街の駅で進行方向の分からない線路を見据えて唯ひたすらに夜行待ち。人少ない夜行バスで寝転んだ座席から見えた幾多の星々。街と街との間にも日本では味わえないような風景や感情が沢山転がっていました。
またきっと、私はそれらを性懲りも無く追いかけるのだ…。




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