発行・ライブハウス/渋谷アピア
アコースティック情報誌「あたふた」 Vol.100 2005.7月号

ヒマラヤの東端ブータンでホームステイ
ハネムーン珍道中紀行
伊東樹理

                                                    2005年4月19日、私たちはブータンへと飛び立った。
初めは"モンゴルで馬頭琴を聞きたい"とか、"インドでダライ・ラマに会いたい"とか思っていたのだが、4月のモンゴルは寒いし、ハネムーンで初インドは、気分が浮かれている分なんか危険そうだしで、やめた。
それならばと、PC検索した、キーワード:"幸福の国"。そう!そこはブータンだった。。。。

 ブータンはヒマラヤ山脈の東端にある仏教王国で、近年まで鎖国を政策の一環としてとってきた。"インターネットを通じ、海外諸国と簡単にダブルクリックで繋がれる世の中で、今どき、鎖国!"と思われるかもしれないが、ブータンは自国の文化を守るために、外国との貿易や交通をやめ,国をとざすことを方針としてきた。2000年に入ってから、ようやく、その重く閉ざされた扉は観光を目的とした客人に開かれるようになった。
そんなブータンなので、行く前に本や、インターネットである程度、リサーチはしてはみたが、情報はあっても、想像がなかなかできない。実際、行って、見て、聞いてみないと分からない。出発前、成田空港での私、まるで黄金の国ジパングを目指したマルコポーロだ!
 バンコクで乗り継ぎのため、1泊。着いた時刻も遅かったため、街へはくりださずにおとなしくホテルのレストランで、本場・タイフードを楽しむことにした。"やっぱり、現地の料理は辛い!"耳がおかしくなるくらい辛かった。それが明日、訪れる国・ブータンでは、唐辛子を生野菜感覚でばりばり食べるとのことだったので、タイでの辛さをちょっとした予行練習とし、まだ、出会ったことのない辛さに舌を備えた。次の日、早朝にバンコク発ブータンAirであるドゥルクエアーにてカルカッタ経由でブータンの空の玄関口・パロへ飛んだ。
 
 パロへ着くと、ゴと言う一見、日本の着物によく似た民族衣装に身を包んだガイドのサガールとドライバーのニマさんが空港前で出迎えてくれた。ブータン旅行では必ず、旅行者にはガイドとドライバーがつく。ツアースケジュールもほとんど国が組んだ内容のものになり、フリーで外国人旅行者が動くということはない。年間の旅行者受けれ数も定められていることから、ブータンが開き始めた扉から放たれる光は少し眩しいくらいの射光であった。
  サガール、ニマさんと挨拶を交わし、日本車の白いバンに乗り込んだ。見知らぬ国での5日間のスティ、車窓からはこぼれんばかりのロマンが広がるはず。。。だったが!ブータンの道中は恐怖!の一言につきた。標高が高い、道が狭い、ガードレールがない、カーブ地にミラーがない、だから、前から車が来ているかなんてドライバーの感覚まかせだ。 ガイドのサガールが"ブータン人はみんな運転が上手いよ”と言った。"そうでないと困るちゅうねん"と心で突っ込む私。私の鼓動と同じくらいのスピードで車はドンドンドンと先へと進んでゆくのであった。
 ここで、ブータンの国勢について触れておくと、国の政体は国王の統治による君主制、国の方針はかなり仏教の教えに基づいたものになっている。例えば、ハンティングは禁止され、フィッシングに関しては罰金等々。。。不殺生戒を挙げて、むやみやたらの殺生を禁じ、命あるもの全てが幸福であるようにと考えられている。また、殺人、自殺、レイプがほとんどなく、現在は刑務所もない。窃盗などで捕まった罪人は寺院に収容される。そういえば、旅の最中、旅行者狙いのすりや、ぼったくり等もなかった。また、ブータンは義務教育ではないが小学校から大学まで無償で、勉強したければ、できる環境がある。ちなみに医療費も国負担になる。財政源はと言うと豊かな森林と豊富な水である。近年、木々は材木として各国へ輸出し、水は電気をつくる大事なパワーとなる。そうして作られた電気は近隣国インドへ売られる。そのような経済のボーンがあるため、人々の暮らしは質素ではあるが、国自体は潤っているように思えた。

 旅の話に戻るが、旅行中は、ほとんど車で移動のツアーであるが、窓から見た景色は非常に日本の田舎に似ている。それは家々であったり、気候であったり、ちょうどブータンへ訪れた頃は、日本と同様、春到来で、山々に新しい緑が生え、花も咲きグリーンの田園風景がとても美しかった。山岳地帯のために、ぐるぐる続く頂上までの道には牛が、犬が、人がのんびり歩いていた。
 出会ったブータン人の多くは温厚そうな顔つきをしていた。感じは柔らかいが、人懐こくはない印象。馴れ馴れしくないが、愛想もない。ハローなんて挨拶をしていた自分が恥ずかしくなるくらいの貫禄。人々のやさしい目の底にはゆずらない何かがあり、じっと観察している。それが見えた時から、土足で入って、ハローの西洋的なコミュニケーションはやめた。じっくり、ゆっくりのコミュニケーション。それが礼儀ではないのかしら。
 夜が来た!空にベルベットの黒い緞帳が下りる頃、犬やジャッカルが一斉に吠え始める。その数100匹近く。鳴声を迷惑がる人もいなく、犬はただ吠えたい意志で鳴く。東京の街、電車等で服を着せられ、バックに押し込められても人形の様におとなしくしている犬たちがとても窮屈で貧相に思えたほどだ。朝、ガイドのサガールに”ブータンの人は夜眠れなくないの?”と聞いたところ”耳栓すれば大丈夫”との一言。動物と共存するための人間の譲歩がこの国で感じられた。
 ブータンでは街にはかなり犬が多い。そこには人と人間の持ちつ持たれつの関係があり上手いこと共存している。犬は常に店や家々の番をし、人は、残った食事を犬に与える。野良犬を見たらすぐ保健所の職員が飛んでくるような日本の都市とは違う。そう、南正人さんの歌詞にも”野良犬1匹いない町なんて変だよ”って、素敵な1節があったな。
 ブータンで圧巻だったのが、人間と動物との関係である。それはブータンの思想に基づく。"命あるもの全てが幸福であるように"そうした教えはブータンの食事の作法からも伺える。ブータンでは食べる前に少しのおかずを外へ投げる。また、お茶を注ぐ際もわざと少しこぼすのが礼儀。この風習は他の生命へのおすそわけと、感謝の気持ちを表していると言う。インド独立の政治家であり、非暴力思想家のマハトマ・ガンジーが言ったように”国家の偉大さや道徳的水準は、その国で動物がどのように扱われているかによって判断できる”と、私も思う。
 それは、決してファッションの一部のごとく、犬をブランドのバックに押し込み闊歩する人々や、地球環境の急激な変化が災いし、迷い込んだあざらしを"たまちゃん"と名づけ、ばか騒ぎする平和ぼけの人々とマスコミだったり、レッサーパンダーが人間みたいに立ったからって可愛いって、動物園ブームに拍車を掛ける人々がいるような国家ではない。そのような風潮は、真に、爆破すべき動物観である。動物の命が命として扱われなくなった世界に、命の重さなんてないだろう。悲しいかな、動物に起こった出来事はそのまま人間にも起こる。だって、異形なかたちで結ばれてしまった1本の鎖はどこまでも曲がるだろうから。
 人も、動物も、その他生命の生活も、1つの輪で繋がっていて、尊い行いが、豊かな自然を形成する。宇宙船から見える瑠璃色の地球は全ての命からなる万物の創造であった。それが今では、自然破壊、温暖化、食肉の生産性を重視し、命を軽視した現実がここにある。このことに関しては書きたいことが山ほどあるが、話がぐぅ〜んと反れてしまうので、もしも、興味があればアピアで一緒に話しましょう。

 
 ブータンへ着いてから、いろいろな場所を訪れた。ブータンの伝統的な暮らしぶりがうかがえる民族博物館、織物博物館、尼僧院、国立図書館、美術学校、各ゾン(寺院)、早起きしての、バザールにも行った。そうそう、子宝寺院にも行って、男の人の性器の形をした棒で頭を叩いてもらったっけ。。。ここは、世界各国から不妊症のカップルが訪れるといういわくつきの場所らしい。
 観光中、最も印象に残っているのが、僧予備軍の子供達が暮らすゾンであった。ちょうど、私が訪れた時は、彼らはお昼中であった。許可を得て見学させてもらうことになった。真っ暗なゾン内に80名くらいの子供達が静寂をおかずに、おかゆを食べていた。くちゃくちゃと噛む音がする。鼻をすする音もした、着物がすれる音がした、息が聞こえる、先生の目を盗んでふざける笑い声、小さな格子窓から一筋の光がさす。子供達が小さな釈迦になったその1枚。私はまぶたのシャッターを押し、心の印画紙に光景を焼き付けた。

 食事が終わってからの子供達は元気よく風となって外へとびだす。きらきらきらきら眩しく私の周りを走るその姿。あまりにも美しくて、涙がでそうになった。どんな宝石よりも輝く命は、人間本来の美しさを教えてくれた。

 帰国し、あれから、ニュースで犯罪、殺人、事故を耳にすると、ふっと、ブータンを思う。”脱線してしまった時間がみた夢は幸福のユートピア”
今、遠いあの国が懐かしい。



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