発行・ライブハウス/渋谷アピア
アコースティック情報誌「あたふた」 Vol.100 2005.7月号

「ありのままで生きて」いたら何を蹴っ飛ばすか分からない!!

アピアで4年!! 自己嫌悪と我慢と感動と・・・
変わり続ける自分を正面から受け止めて
大好きになりたい









APIA PA & RECORDING ENGINEER
吉田茉梨絵

 アピア情報誌、あたふた100号おめでとう!!

これまで、私は何度か原稿を書かせてもらった。こうして誰が読むか分からない文章を書かせてもらうという機会は、考えてみると滅多にない貴重なことだ。ところが、はっきり言って、私は自分の文章に嫌気がさしている。何度書いても、同じような言い回しになってしまったり、本当に思ったことを書いているつもりなのにクサくなってしまってたりする。
 それは、文章に限らず自分自身、生活している上でも感じてる自己嫌悪なのだけれども。たとえば、誰かと話していても、大した人生経験をしてきたわけでもないのに知ったような口調で人生を語ったりしてる。 後ろから、臆病な自分がそれを見ているかのようだ。もう嫌なのだ。無知の知でありながら、止まらない私の偉そうな態度。そうして、本当の自分を曝け出したいんだ!と叫んでみても、もしくは歌ってみたとしても、どうせ変わらないのも分かってる。きっと、ただの願いだ。結局、現在の私は自分が大好きってこと?自分でそういう意識がないにしても、冷静に考えるとそういうことになる気がする。

 私は、最近また1つ年を重ねた。毎年毎年、お誕生日という日が普通の日になってきている。もちろん、お祝いしてくれる人やメールをくれる友達はいる。それだけで特別な日になるのだけれども、私の中でいまいちスペシャルな気がしない。
 何年か前までは、誰かがお祝いしてくれる度に感動しちゃって涙まで流してた。最近の私は何か感動という気持ちを忘れてるみたい。まだ、大した年齢でもないけれど、それなりに人間というものは何者なのか、世の中の仕組み、社会で生きていくということ、が見えてきている結果なのかもしれない。


 感動とは変わりばんこと言っていいか分からないけれど、イライラすること、怒りを覚えること、自分を抑える力、というものがザブーンと。「ありのままでいいんだよ」って言われたり、誰かが歌ってたりもするけど、「ありのままで生きて」いたら私は何を蹴っ飛ばすか分からないし、誰かを殴ってしまうかもしれないし、誰かをいぢめちゃうかもしれないし、今以上に傷つける人がたくさんいると思う。でも、「ありのままの自分」でいても頭が働くから、今の自分がいるんだとも思う。だだっ子な自分がいて、考える力がある自分がいて、何人もの人種が私の中で1つとなり、言葉や行動になる。我慢することが「ありのまま」だったことに気付く。
 生きている中で、感動は少なくなったけれど最近ではドラマの「はい、ここで泣いてね♪」合図のお涙頂戴シーンに狙い通りに泣かされる。1〜2年までの私はドラマでも映画でも涙を流した覚えがない。「なんでこんなのに泣けるんだ?ただの作り話じゃんかぁ〜」と。私の知らないうちに、私の中で何かが変わり始めてるみたいだ。当たり前の話?そこで、私は考えた。

 
 なぜドラマで泣ける人間になったのか。それは、現実での感動シーンや悲しいシーンに立ち会うとき、誰かがその場にいるんだ。涙を見せてはいけない誰かが。それは意識したことはない。勝手に場の空気を読めるようになった私の中の1人が歯止めをかけ、私は平気なフリを普通にしている。そして、ドラマの感動シーンでは現実と重ね合わせ、その時に流せなかった涙を代わりに流しているみたいだ。と、私は感受性が鈍くなった自分を肯定しているようにも思えるのだけれど。私はいつでもそうだった。
 
 勇気がなくて伝えたくても伝えられなかった思いを、相手を思いやって言えなかったのさ。と、
 優しさアピールを自分にしてみたり。その勇気はいずれ、自分の責任になるから単純に怖がってるんだ。
 
 そんなこんなで、年を1つ重ねたばかりの私はもうすぐ、アピアで働き始めて4年目を迎える。アピアで生まれた私が4歳になる。音響のこと、ましてやアコースティックギターのことなど何も分からずに始まった。本当にゼロからのスタートだった。
 今、思うことは“マスターみたいに”なるのではなく、4歳なりのPA吉田茉梨絵しか出来ないことをしていきたいと。
 毎日、変わり続ける自分を正面から受け止めて、正面から大好きになりたい。


絵と詩    APIAスタッフ・照明担当 岩井由乃
ラビリンス

早すぎる前に少し遅く そのタイミングを必要として。

下手な嘘はもう 知ったときあっけら。

さもないと行方不明 人情を月並みにして

返さない裸 背景を残して盲目だ

適度さが不安として見るにしても 勘違いとして聞くにも

手間は掛けない様に

遠回りに掛け替えのない確かめ

より、極めて確信を練り歩く。

透明な息を吐いて。

只居たいなら、退屈として導いたおもしろい愛撫に。
無題

この匂いがするのなら

ひそかな違いも気にかけずに、

遠くの方をぼんやりと

真剣に見透かすことができる



だと、

言ってみた。

正確

止めてはいけない早さがある

たえず感覚は喋り続けている 一つの物体を

あきラメず 焦る。

焦って あきラメ。

上の方に、何層をも越えて星空から。 勿論きれい

幸福は実感できないけれど、

頼りない音をじっと見つめ、

喜べ!

       星空より。

       きちんとしているし、虹よりも。
誌上ギャラリー
小池真司
 「会議室

気づくとその部屋には誰もいない

切れかかった蛍光灯が静かに音をたてているだけ丸く置かれた机の上に

何故だろうHATEの砂文字があり

私が窓を開くと

それは風でHELPの文字に変わるのだ

ははは

これら一時の冗談のために人は死んでゆく

ははは


嗤おうとした私の上で蛍光灯は切れる

誰の生を贖う誰もいない

代わりの蛍光灯は地下室にある
「纏足」

 或る朝 母が石を持ち

 私の足を粉々にした

 全て私の幸せのため


 走りもできず

 遠くも行けぬ

 全て私の幸せのため


 幸せって何?母に訊いたら

 問えなくなるまで殴られた

 全て私の幸せのため


 或る朝 私は石を持ち

 亭主の足を粉々にした

 全て亭主の幸せのため


 或る朝 私は石を持ち

 子供の足を粉々にした

 全て子供の幸せのため


 幸せって何?子供が訊いた

 問えなくなるまで石で打った

 全て子供の幸せのため


 お母さん そして私には

 もう幸せの他 何も無い

 全てあなたの幸せのため

 全て私の幸せのため
「自転車」

 こいでもこいでも何処にも着かない

 自転車を僕はまだこいでいる

 長く続く上り坂を或いは

 湿った沼に沿って下り坂を

 ここぞという時にすぐパンクしてしまう

 一台きりの自転車をこいでいる

 笑えるだろう?今もまだ

 そしてこれからもずっと

 盗んだこの自転車を
「血族」

 森と墓石と夏がねじれ燃える

 森と墓石と夏が憎みあい燃える

 それを繋ぎ留める一本の

 杭であれと血族は云う


 生前から既に

 花々は膿んでいる

 だから

 腐りゆく花だけが開くと云うのだ
 「クマさんの耳かき」

耳がゴロゴロすると言うから

クマさんの耳かきで掘ってやった

クマさんといっても熊の飾りではなく

死んだクマさんの形見なのだ

家にある唯一のこれが遺品で

クマさんらしいやと思い出すのだ


形も角度も申し分なく

見当たらないと家中を探す

そんな気の利いた目立たぬ裸木

それがまたどこか彼に似ているのだ

さて耳を掘るには掘ったが

いっこうにゴロゴロがやまないという

さてはクマさんが生涯聞いた

耳のゴロゴロなのかもしれぬ

背中と星座がこすれる音か

女と子供にゃ縁無い音か

「クマさんてだあれ」奴が訊くから

目玉の星を覗きこみ

「酔っ払いだ」と答えたのだ
 

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