発行・ライブハウス/渋谷アピア
アコースティック情報誌 Vol.96 2005.3月号
土田の作り話「フカミドリ」
土田浩司
 試薬の色からフカミドリと名付けられたそのウィルスは、直下型地震が巻き起こした空前のバイオハザードにより世界中に蔓延する。その超強力な感染力とスピードは、全ての政府機関や研究者をあざ笑い、半年後には全人類が感染する。
 だがフカミドリのもたらしたものは、災厄ばかりではなかった。
 フカミドリは主に前頭葉を好み、感染初期にごく軽い発熱等の脳炎症状を起こすが、その状態を乗り切った後は、罹患した人間の創造力を飛躍的に向上させる。結果、数年の間にエネルギー危機が回避されガンの特効薬が見つかり食糧問題が解消される。
 フカミドリは芸術・創作分野にも影響を及ぼす。全ての人間がダビンチにピカソにドストエフスキーにジミヘンドリックスになる。誰もが、以前は見上げるだけだった高みに容易に辿り着けるようになる。誰もが以前には何処にも存在しなかった完璧な作品を創りあげるが、それは誰にとっても普通で、自然で、ありふれたものになる。

 けれど世界でたった一人、特異体質によりフカミドリの感染を逃れた男がいた。
 彼はアマチュアのフォークシンガーで、ある日、自分のライブの帰り道、渋谷の雑踏の中で、見知らぬストリートミュージシャンの演奏を目にする。
 誰もが知らん顔で通り過ぎるが彼一人だけ、その完全に独創的な演奏に感極まって腰を抜かしているところを、とある権力者に見出される。
 毎晩秘密裏に、渋谷の小さなクラブで、彼のための宴が開かれる。その席では、幸運な数人の歌手やダンサー(むろんそれぞれが権力者に莫大な金を払っている)が渾身のパフォーマンスを繰り広げる。観客は彼一人、彼は泣き、笑い、怒り、歓喜し、空を飛び、大海を渡り、母の胸で眠る。パフォーマンスが終ると、彼は震える手で演者を抱きしめる。彼らは共に、もはや地球上でここにしか存在しない至福を味わう。
 ある夜、宴の最後に、厳重な警備をかいくぐった一人の男が彼に自分の歌を聞いてくれと迫る。彼が疲労を理由に断ると、男は絶望のあまり彼を刺し殺し自害する。壮大な葬儀がしかししめやかにひらかれる。全財産を売り払い権利を入札した詩人が、彼のための詩を読みあげる。中空を漂う彼の魂はそれを見て、聞いて、つぶやく。「素晴らしいものに囲まれて、私は幸せだった。ただ一つ、誰か一人でも、私の歌を聞いて涙してくれたら、極上の人生だったのだが」
 ちょうどその頃、ヒマラヤの奥地にある中国の人民医学研究所で、一人の研究者がついに、フカミドリのワクチン開発に成功する。
「ぼくの音楽」
妖子(藤井毅)
 ぼくの歌にはいわゆるメッセージがない。伝えたいことがない。しかし、風景がある。そこには見たことのないような風景がある。少なくともぼくには見える。見たことのない風景が。ただそれだけだ。

歌が出来上がると嬉しくなり誰かに聞かせたくなる。見たことのないような風景を誰かに見せたくなる。そして、聞いてくれた人の見た風景が僕の見た風景と違うなら、それはとてもおもしろい。そのズレはとてもおもしろいと思う。なんでおもしろいのかははっきりさせない方がおもしろいと思う。とにかく僕は音楽のそういうズレも好きだ。もちろん同じ風景が浮かんでもおもしろいけど、ぼくは違う方がおもしろいと思う。

 風景が死ぬまでぼくの頭の中にあるのならずっと歌っていられる。ずっと歌っていたい。死んだら終わっちゃうのかな。とりあえず生きている間はいっぱい歌おう。

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