発行・ライブハウス/渋谷アピア
アコースティック情報誌 Vol.96 2005.3月号


パスカルズ「懐か楽しい」
岩本のあ

 美味しいものを食べて、思わず、ほっぺたが笑ってしまったことはありませんか。かっぱえびせんとかカールとか、そういうのじゃなくて、生クリームとパルメザンチーズがたくさん入った帆立貝のリゾットとか、ふんわかと揚がった白子の天ぷらとか、明日になったら首を吊ろうと思っていた気持ちが、どこにあったのか見つからなくなって、思わず押入れの中まで探してしまうほど美味しいものを食べたとき、ぼくは、笑ってしまうのです。
 初めてパスカルズの音楽をライブハウスで聴いたとき、僕は笑いました。げらげら笑うというのではなくて、本当に美味しいものを食べたときに思わずほっぺたが笑ってしまったような笑いを笑ったのでした。幸せとは、こういうことだと思った。ライブハウスでパスカルズの音楽を聴いているあいだじゅうずっと、ほんとうに、生きているのが楽しかったのでした。
 生きていれば、多分、誰だって、ときどき死にたくなるように悲しいことや残念なこととデートしなくてはならないときがあります。そんなとき、それまでの僕は、多分、モーツアルトとかベルディとか、そういうのを聞いていました。そういう音楽は悲しい気持ちや残念な苦しさを、ぎゅっと抱きしめてくれたのでした。それは本当にありがたいことでした。パスカルズの場合は、もちろん、ぎゅっと抱きしめてくれるようなナンバーもある
のだけれど、それより、聴いているうちに、「え?俺、いまなんで死にたいと思ってたんだっけ?」と、たとえ瞬間的だったとしても、思わせてくれるような「愉快」が満杯なのでした。パスカルズもまた、ありがたい音楽なのです。
 楽しさは、もちろん(たぶん、ですが)、パスカルズの企みでもあります。天然なのかもしれませんが、とにかく、パスカルズの音楽は、「楽しい音」のおもちゃ箱なので、それを聴いている間は誰だって、子供みたいになることができること請け合いです。実際に、おもちゃのピアノとか、変な音が出る笛とか、振り回したらヒューヒューなるチューブとか鋸とか、パーカッションには風呂桶やお鍋まで、楽しい音が鳴るものは、なんでもメンバーに加えています。
 パスカルズは15人編成のオーケストラで、30〜50歳ぐらいまでの兄ちゃんと姉ちゃんたちが、楽しそうに奏でます。
 バイオリンやチェロ、トランペットなどクラシックの伝統的な楽器に、アコースティックギターやウクレレ、バンジョー、ドラムといったポップスの楽器、それから、ピアニカやアコーデオンに本当のおもちゃの楽器、その3つの素材の絶妙なアンサンブルが、パスカルズの懐か楽しい音楽世界を創り出します。
 パスカルズのメンバーのほとんどは、音楽エリートではありません。物心つかないうちからピアノとかバイオリンとかを蝶ネクタイとかワンピースなんかを着て泣きながら弾いていて、絶対音階の耳があって、中学も高校も音楽コースでもちろん音大に行って、というような人は、全員に聞いたわけではないですが、多分、いないと思います。音楽だけで飯を食っている人も、そんなに多くはない。会社の課長さんとか、アルバイトとか、調理
師とか、それぞれ仕事をしながら、誰かに頼まれた訳でもないのに、音楽を続けている、そんな人々の集まりです。
 それが、パスカルズの音楽性と何か関係があるのかどうか僕には分かりませんが、もしも音楽というものがなかったら、パスカルズのメンバーの何人かの人生は、とても辛いものではなかったかと、想像することがあります。実際はどうかは知らないけれど、音楽という媒介がないと、社会とつながりを持って生きていくのがとても困難なのだろうな、と推測させるような人も、たくさん、います。パスカルズのメンバーの何人かをみていると、
この世に音楽があって本当によかったと、他人事ながら、神様に感謝したい気持ちになるのです(かみさまに感謝する必要が全くない、立派な社会人の方もいます)。音楽がなければ、比喩ではなくて文字通り、生きていくことができない。そんな人々によって、そのくせ、悲壮ということからはかけ離れたところで、生まれ出てきたのが、パスカルズの音楽なのだと思うのです。
だから、すごいということではないですが、つまり、世の中の誰一人評価しなくても、ぼくはパスカルズの大ファンですが、宣伝のためにいうと、パスカルズはフランスでも物凄く評価されています。ヨーロッパでは2枚のアルバムをリリースしていますが、どちらとも、ル・モンドの月間一押しのアルバムに選ばれたのでした。当たり前のことですが、音楽にはほんとうに国境がないのだなと、その話を聞いて、僕はつくづく感心したのでした。

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