マイッタ…。三上寛を3時間余り通して聴いた。こんなことは金輪際ないだろう。生演奏ならいざ知らずテープをヘッドフォンでモニタリングしながらである。逃げようがない。とてもヘビィであった。それが今回限定ながらCD化復刻されることになった『十九歳二ヶ月十六日夜。』の元になっている音源である。正確な日付はわかりかねるが兎に角これが1969年から70年にかけて録音された最初期の三上寛の肉声である。当時からやはり三上寛は三上寛として存在していたことがありありと残されている。何回か同じ曲が唄われており、そのことから数日間の記録だということも窺える。だからこのアルバムのタイトルは正しい状況を指してはいない。だが、それはそれでよい、森光子が今だに『女の一生』を演じているのだから。
そのブツはアナログの転写を考慮してディジタルに複写しておいたものではあるが、初回のLP時でさえ録音されてから20年もの月日が経っており、既に劣化が始まっていたことを感じさせられた。やはりこの遺し方は正解であったのか。幾つかの曲は構成として不完全であり、また幾つかは録音状態が不完全であった。今の技術ならその不備を補完できるものであるが、先ずはそっくり同じものを作ろうということだ。正確を記せばそっくり同じものではなく今風に言えばバックアップマスターより再マスタリングということになるのだろう。いつの日か『十九歳○ヶ月云々』という続編が出せるだけの素材はまだ残っているのだが、それは敢えて初盤を購入した熱狂なる面々に敬意を表してボーナストラックなるものも加えようとも思わなかった。
さてさて拙い記憶を辿りながら…初回にLP2枚組限定100部の出版とされた経緯を少し。なぜ出すことになったのかは定かではないが、「コンナモノガノコッテイル!」という至極単純明解思考無用の展開であったことは想像に難くない。それが実行に移されたのが1991年の秋。発売日として記されているのはその年の大晦日、実際はその少し前、発行元であるファンクラブ「三上孝務店」の忘年会で予約者に配布するという趣向である。売価は15,000円だが購入資格は「三上孝務店」会員であること(入会金は1千円)。つまりこれを手に入れるには売値の他にセンエン要るのだった。これを手にしたいばかりに正月のモチ代を充ててしまった者がいたのかどうかはわからない。高価ではあったがディジタル全盛期というかLPのプレスが最も原価の高い時期であったことからモウケハマッタクナイ出血価格であったのだ。その後13枚組BOXに収納されるブックレットの原型が解説書「三上寛全仕事」として封入されてもいた。斯くして箱に至る萌芽は在ったということなのか? そしてジャケット内部のメッセージには…ダメ押しで「隠し通せ!」と結んである。このモノは持っていることを誇れるモノではなく秘すべきモノなのだという絶大な主張なのだろう。念入りにもその追跡手段として番号まで振ってあるのであった。尚その番号は1番から始まるのではなく0より99までというものであることはあまり知られていない。だから100番を探していたヤマダ君は未だに目標を達成していないのだった。
あれから15年の月日を経ており、秘すことを通せなかった者は持てる者より更に深く贖罪を行わねばならなかったのだ。さて罪深きはアルバムのなのか三上寛なのか、それともそれを聴く者なのか? |
渋谷にあったステーション’70で、1970年、三上寛19才の時の貴重な録音です。現在オークションに出ると10数万円にもなってしまうレアなレコードで、ファンも手が出ない状態でCD化が待たれていました。全26曲。3曲はCD初収録。紙ジャケット仕様で777枚限定です。 |