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金沢栄東プロフィール

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信じた道を歩いていこう
〜ライブ活動38年 金沢栄東 PROFILE〜


1953年 岐阜県揖斐郡大野町生まれ。
1959年 岐阜県立盲学校入学。
1971年 岐阜県立盲学校卒業。
1971年 マッサージの施設に就職。(三年間)
1972年 YAMAHA主催「素人名人会」
中部地区大会優勝。
1973年 ニッポン放送主催「全国フォーク音楽祭」にて歌唱賞受賞。
1974年 東京キッドブラザーズ「10月はたそがれの国」でフォー クシンガー役にて出演。
1974年 音の出る信号機の作曲で愛知県警より表彰される。
1975年 RVCビクターよりLPレコード
『金沢栄東の世界』とシングル発売。
1981年 国際障害者年忌念アルバム
『ちがうことこそバンザイ』に 2曲参加。
1982年 サウンドワークスよりCD
『きみが好きだった』シングル を発売。
1992年 サウンドモークよりCD
『響けハーモニカ』発売
1997年 CD『EITOU BLUES ALONE』発売。

以降、商業用のレコーディングはお休みしています。

2010年 全日本ハーモニカ連盟より
「ハーモニカ特別賞」受賞




☆メッセージ
生ギターとハーモニカの弾き語りにこだわり、自分独特の人生から生ま れた金沢栄東の音楽世界をうたっています。自作のオリジナルです。

身体的特徴として目が見えないことは隠しようがないけれど自分として はそれを度外視して音楽活動をやってきました。

ハーモニカは4歳のときからふいていますので体の一部のような ものです。

また、ギターとブルースハープとの絶妙なバランスには命を かけてきました。これには三十数年かかりました。 ハーモニカは54年のキャリアです。

ライブの希望によっては・複音ハーモニカでなつメロや古い童謡・尺八 の吹き歌い・ドイツの色々なハーモニカを使っての演奏・カリンバ (アフリカの楽器指ピアノ)を弾きながらそのときの気持ちを歌い ます。

☆好きな言葉
「信じた道を歩いていこう」

☆信条
「生身の人間が生楽器を使ってどこまで表現できるか」に挑戦

☆人物・特徴
子供の頃から音楽が好きで18歳のときラジオから流れてきた黒人 のやっているブルーズに心動いた。

自分の心持と相通ずる何かを感じたからだ。

自分も音楽で飯を喰いたいと思った。家族をはじめまわりのみんなが反 対した。

ハーモニカもギターも歌もほぼ独学である。

生まれつき全盲の者が一人で各地をまわって仕事をするなど誰も思わなかった。

でも20〜39歳までは一人で歩いてきました。

その後は、俺の活動に感動してずっと付き添ってくれている人がいてか れこれ20年。二人三脚で動いています。

『一生現役』で終わりを迎えたい。




著作物・マスコミ活動

★レコード ビクターよりLP1枚・シングルレコード1枚。

★CD2枚(フォークとブルーズ)

★放送番組においては、おもにNHKで盲人の番組や「テレビリ ポート」「栄東くんのフォークジャンボリー」「チャリティーミュー ジックソン」「今輝いて」「きらっと生きる」などに出演。

あとはその時々の各社、各地域の話題として。

★新聞記事は朝日新聞3回連載の「しあわせを数えたら」その他 各社単発もの

評価 ・元気をもらった ・目が見えない人とは思えない ・エネルギッシュ ・感動した ・楽しかった ・やればできると思った

☆公演先・内容

・ライブハウス
おもに自作のブルースを日本語で歌う。 時にはフォークソングも、飲食をするお客さんと小さなスペースの中で ゆっくりとくつろいだ気分で。

・学校
小学校から大学、各種学校、医療少年院など。 人権を考える授業の一環として。障害がありながら頑張っている人。福 祉の授業。音楽鑑賞など。

・地方自治体の行事、会社、各種団体、地域のお祭り、施設、家庭など いろんなところへ出かけています。





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