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「ハーモニカとの出会い」パート1 4才の頃、母親が買ってくれたのが最初だった。 目が見えないので音の出るものは、とても喜んだようです。この頃は楽器というより、音の出る「おもちゃ」の感覚であったであろうと思われます。初めの頃は、音を出すのにあきると色々ひねくりまわしてバラバラに分解してこわしてしまい、母をあきれさせた事もあったようです。それでもいつも音を出しているうちに、当時、母の仕事場から聞こえてくる流行歌など聞き覚えていつのまにかそれらしく吹けるようになり、何人かの前で吹いてみせて「ほう、うまいなぁ」とほめられていくらかのお金をもらった事もありました。 幼児の時からすでに「ライブ」のきざしがあったのだろうか? 6才から18才までは、盲学校ですごした。全寮制だったので家へ帰る事ができるのは夏、冬、春休みと何か特別の時のみであった。幼い子供には、大変淋しい事でした。学校に入って、音楽の時間にハーモニカはよく練習しました。音楽担当の先生も全盲の人でしたが、今から思えば本当に様々な事を一生懸命教えてくれた素晴らしい先生でありました。 学校では、校内での行事で合奏をしたり、刑務所などへ「慰問」に出掛けたそうです。この頃迄使っていたハーモニカは、「複音ハーモニカ」でした。 「僕がハーモニカに初めて出会ったのは」 ・ぼくがハーモニカに初めて出会ったのは それはぼくが四つの時でした むずかり泣き叫ぶぼくをなだめるために おふくろが僕にハーモニカをくれました それからぼくはハーモニカを吹くようになった(2回くりかえし) ・ぼくはハーモニカに本当に魅せられたのは それはぼくが18の時でした ラジオから流れるブルースハーモニカに魅せられて 僕はハーモニカと旅しようと思ったのだ それからぼくはハーモニカと旅するようになった(2回くりかえし) CDアルバム「響けハーモニカ」より |
金沢栄東マネージャー・松下寿子 |