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目の見えない男のブルース

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「ハーモニカとの出会い」パート2

 初めて手にしたのは、宮田バンドのハーモニカでした。
 盲学校をもうすぐ卒業できる18才の時アメリカの黒人が演奏するブルースがラジオから聞こえてきた時、とても心にしみました。苦しい生活、差別や偏見の中から生まれてきたブルースの響きは自分と共感できました。サニー・ティリーという盲目のブルースハープ吹きに魅せられ、テープにとって懸命に耳を傾け、ひたすら練習をかさねてきました。
 複音ハーモニカに出会って43年。ブルースハープ(ハーモニカ)とつきあってほぼ30年。もう体自体がハーモニカを吹くのに都合よくできていて、きのう・きょうではわかりようもないが、小さな積み重ねはすごいものだ。
 ハーモニカも色々な表現方法があります。例えば複音ハーモニカでは、メロディを奏しながら伴奏をつけますが、和音で前打ち後打ち奏法・アルペジオ・トレモロ・ヴァイオリン奏法・3度、オクターブ奏法等々舌と唇と息使いを駆使して表現をおこないます。
 1本では事足らず、2本・3本・4本と重ねて最高は5本まで使っています。4本・5本となると顔がハーモニカで隠れてしまいます。ブルースハープでは、「スラッピング」といってハーモニカで「笑う」「泣く」「歌う」「Train Harp」といって汽車の走る様を描写したりやればやるほど奥が深いようです。


「目が見えない男のブルース」

アイム ア ブラインドマン 岐阜の生まれさ 
俺は生まれつき目がみえないのさ
4つの時からハーモニカ吹いてた 18のときにブルースに出会って
21で歌が歌いたくなって ギターかかえて俺は旅に出た 
白い杖と寄り添いながら いろんな町をほっつき歩いた 
そしてある時こんな事に出会ったんだ
小さな駅のプラットホームを一人で歩いてるうちにプラットホームから足をすべらせた
そしてプラットホームから線路に落ちた 
プラットホームの端を階段だと思い違えて
・・・略・・・体が宙に浮いた・・・だけど俺は絶対に負けるもんか 
小さなギターとリュックがあれば
俺はどこへでも行ってやる ・・・*テープ(信じた道を歩いていこう)より


金沢栄東マネージャー・松下寿子



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