発行・ライブハウス/渋谷アピア
アコースティック情報誌 Vol.129 2007.12月号

アルバム発売にあたって  YAMATO
1月19日 昼の部 1時間ライブ決定

 待望のソロフルアルバム第一弾、『故郷を遠く離れて』(15曲入り)が遂に完成しました。これまで【佐渡ヶ島】、【命の花】の2曲が、オムニバスアルバムに参加し全国発売されましたが、ソロアルバムとしては、すでに販売している3曲入り自主制作ミニアルバム『月』に続いての作品になります。思えば3年前、年々強くなる故郷に何かを返したいという想いに突き動かされ、自分に何ができるのだろう?と自問自答する中、少年時代の夢の原点である音楽しかないとの結論に至り、一念発起、何の保証もないまま踏み切った音楽活動でしたが、お陰様でCDを制作、販売できるところまで漕ぎ着けてきました。今回のアルバムも知人、友人達の協力の下、限られた時間の中で制作したため、決して100%納得のゆく仕上がりではなく、荒削りな部分も多々ありますが、故郷を離れ、趣味で音楽をしていた20歳代前半に作った楽曲から、10年余りの完全ブランクを経て本格的に音楽活動を開始した3年前以降に作った楽曲まで、『故郷を遠く離れて』というアルバムタイトルにふさわしいと思う楽曲を選曲し収録しました。楽曲制作にあたっては、常に等身大からのメッセージということをテーマにしていますので、このアルバムを聴いて頂いた皆様の心に、何かしらの感動が残って頂ければ幸いに思います。色々考えた末、基本的には、ライブ会場や、YAMATOのホームページ、関連サイトなどを通して、買って頂いた方がわかるスタンスで、直接販売していくことにしました。今後とも、YAMATOの音楽活動をよろしくご支援お願い致します。

本家智樹 
1月17日(木)APIA LIVE

 先日、ライブの後に年齢を聞かれまして。
学生時代ならば今何年生なのかと言うことですぐに自分の年齢がわかるのですが大人になるとなかなか年齢を意識することがありません。答えてみて改めて自分の年齢にびっくりしました。  
いい大人でした。
こんな歳になるまでギターを弾いているなんて想像もしていませんでした。というよりいつまで弾こうとか考えてなく気がついたら今。そんな感じですかね。
 その昔、中学生の時友人に借りた一本のカセットに入っていた弾き語りの歌。
 もっとさかのぼれば父が運転する車の中で流れていた弾き語りの歌。 
こんな風になりたいと小遣いをため買った初めてのギター。 
あれからもう何年たったのでしょう。人生を左右するような事って偶然の出会いな気がします。 この友人から借りたカセットも偶然でした。
「本家、これ知っているか」そんな感じでした。  
その後私にとって大事な人たち、音楽たちも偶然の出会いでしたね。
 知識も何もない私にカポやハーモニカホルダーという画期的な機器を教えてくれた「いちかめ」それまで私は割り箸と輪ゴムを使ってのオリジナルカポをこさえてました。 
ハーモニカはギターにガムテープで貼付け演奏。
「先輩、詩を書いてみたんですよ」
「おお、じゃあ曲をつけてみるよ」
それ以来15年来の親友、音楽仲間となった「ます」
色んな人との偶然によって色んなところで歌わせてもらえました。色んな人との偶然によって色んな人と共演させていただけました。
 私の愛する楽器たちも偶然の出会いでしたね。ライブをする事になってとりあえずピックアップがついているものと思い見つけた 「J−160E」  ジョンレノンが使っていると知ったのはかなり後の事でした。
ふらりと入った楽器屋で見つけてしまった。家に帰ってからも眠れず次の日には手に入れた 「DOVE」 今では大事な相棒です。
東京の片隅、寂れたバーで演奏していたとき一人の若者が。
「昔、本家さんのライブを見て音楽を始めたんですよ」
私がそうだったように私の偶然が人生を動かす。しびれました。
最後に今この文章をたまたま読んでくださっているあなた。
なんとなく私のステージを見てくださっているあなた。
この偶然の出会いがあなたにとって人生を左右するものであったら。そう願っています。またお会いしましょう。

http://blog.livedoor.jp/tomokihonke/
風土
1月20日(日)昼の部

 削ることで見える世界もある
生きてきて得たもの、全てを持っては行けない
何を置いてきて今に至り、
何を持って未来に向かうべきか
その選択の答えに反発と共存が入り混じって歌が、
詞が生まれる
偉そうな御題目を並べたところで、
本当はいつまでも笑顔の子供でいたいだけ
全部はそのためだと気付いた



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