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発行・ライブハウス/渋谷アピア
アコースティック情報誌「あたふた」 Vol.103 2005.10月号

テーゼ ってなに?
高橋よしあき

 1982〜83年にかけて、いわゆるライブハウスでの演奏活動を続けてきた。しかし、所謂アマチュアのロックバンドの限界であろう、動員する観客は身内の友人関係に限定された。「チケットノルマ」という約束事を果たすために木戸銭をかき集め、与えられた数十分の時間内、あらかじめ用意された「舞台」に立ち、ミスのないように演奏をする。1000円前後の「チケット代」とひきかえに「客席」を与えられた友人達は、退屈さを笑顔で隠し、数分おきに気付いたかのように「拍手」をし、お調子者の何人かは「かけ声」を発したりもする。
 しかし、狭いライブハウスという空間の中で何が起ころうとも、演奏終了後の出口の向こう側には、平穏な街の「日常」が待っていた。演奏者も観客も、この「日常」の中に舞い戻った時、ライブハウスでの出来事は、そして「舞台」の上での「行為(パフォーマンス)」は、すでに「過去」のものとして、完結してしまっていた。…

 これ、今から18年前、高橋よしあき24才の秋に書いた檄文。これで、タイトルが「ストリートミュージックとしてのロックの復権をかけて」なんだから、我ながらずいぶん大風呂敷広げてたもんだわね。
 さて、ご存じのとおり、この高橋よしあき、かつて「テーゼ」という仰々しい名前のバンドを率いてました。上の文章はライブハウスやホコテンでの演奏を始めた1987年のもの。いわば、当時のシーンへの決意表明みたいなもんだね。
 80年代後半といえば、バンドブーム。上っ面だけの浅い「メッセージ」を歌うバンドが、雨後のタケノコのごとく増殖してた。それを尻目に、テーゼはいくつかのバンドと協力しながら、原宿ホコテンで政治的なテーマを掲げた企画ライブを続けたわけです。
 ここいらのエピソードは、尾ひれが付いて一部で「伝説化(笑)」されてたりする。ま、このあたりは、次の機会にじっくりお話しするとして。
 当時の高橋よしあき、バンドと並行して「ワンマンテーゼ」と名乗り、渋谷・新宿の駅頭で毎週末歌ってました。
 …1986年8月、街頭での演奏活動を開始した。あらかじめ用意された「舞台」も「客席」も、そこにはない。入口も出口もない。ただ、平穏な街の「日常」の中で、自分自身の「現在進行」する「行為(パフォーマンス)」として演奏し、歌を唄うのである。自らが対決すべき強力なベクトルは、おのずから現れてくる。そして、自らが創造すべきベクトルも同様に─。  何かしらの「特権的行為」であるかのごとき「音楽」は、平穏な街の「日常」に投げ込まれることによって、解体される。
 
 冒頭の檄文は、こんな風に結ばれてた。
 この頃は、路上ライブ演る奴などほとんどいなかったからね。路上に躍り出るには、かなりの勇気と決意が必要で。毎回毎回、ナマの声とギターを武器に、「街と闘う」そんな気分。
 路上ライブなど、誰もがあたり前に演る現在、路上も、もはや用意された「舞台」でしかないようで、かなりの違和感を感じるんだよね。
 この檄文、18年前に書いたものとはいえ、けして若気の至りだったとは思ってない。ここで投げかけたモノは、42才の現在も、自分の音楽活動の根っこで脈々と生き続けるテーマ=テーゼであり、自分の原点なんだな、と強く感じています。
 さて、来る11月のアピアは、テーゼの初期ギタリストとのデュオで臨みます。友川さんのフロントアクトだし、きっと聴き応えある一夜になるはず。よろしくお願いしますね。

11月18日(金)高橋よしあき(vo, g)with 守屋茂(eg)デュオ  
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