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発行・ライブハウス/渋谷アピア
アコースティック情報誌「あたふた」 Vol.103 2005.10月号

Suite Reverie
〜 組曲 夢 〜
ゑつみ

全10曲 ¥2,000(税込) Impresism RECORDS

ゑつみLIVE・・・10月4日(火) 渋谷アピア
        10月18日(火)高円寺ALONE
ゑつみレコ発関西ツアーwith徳田建
10月21日(金)京都アコシャン
10月22日(土)京丹後市とト屋“ピーナ”
10月23日(日)京丹後市
10月24日(月)西宮RJ&BME’S CAFE
10月25日(火)明石THE JAKARANDA 
JAPAN
ゑつみSITE・・・
http://www5e.biglobe.ne.jp/~etsumi/

◆ 序章・・・子供の頃の夢は、大きなステージできれいなドレスを着て歌ったり踊ったりすること。その為にピアノもバレエも習っていたのに、気がつくと学問としてのピアノを続けているだけで、学校の卒業と共に弾くことはなくなった。それから数年が経ち、多少なりにも音楽活動をしていた私が弾き語りを始めたのは、ブルースシンガー新井英一氏のライブを聞きに行ったことがきっかけだった。何曲かだったが、あまり上手とは言えないピアノを弾きながら、それでも歌の持つ力はとても大きく、丁度音楽をやめようかと悩んでいた私はまるで心を手でぐっと掴まれたような思いがした。“ピアノは40才から始めた”と彼は言った。誰かに言われた言葉が頭をよぎった。ピアノ弾けるなら、自分で弾いて歌いなよ・・・それからスタジオに通う日々。その頃、NHKの番組で友川かずき氏の歌を聞き、なんてすごい歌手がいるんだろうと思った。そして彼の名前を見つけた渋谷アピアというライブハウスの門戸をたたいた。

◆ 夢への扉・・・アピアのドアを開けた時、薄暗く怪しげな雰囲気の中に何故かとてもノスタルジックなものを感じた。違和感ではなく安心感のような、帰ってきたような・・・。子供の頃に母に連れられ銀座や新宿、渋谷のシャンソニエに通ったことがある。照明の下で、煙草の煙やお酒の匂いに包まれて、キラキラ光るドレスを着て華やかに歌う歌手。その時の光景を思い出した。時の流れと共に忘れかけていた夢への扉が開かれた。

◆ 私達の旅・・・弾き語りライブを月に一度やるのが精一杯だったある日、久しぶりの友人からメールが届いた。“チェルノブィリ事故の被災者で、現地の音楽団でソリストをしていた20歳の女の子がチェルノブィリの子ども達の救援コンサートの為に来日をする。その伴奏をしてもらえないか?”請ける気は無く断りの返事を送った。そもそもチェルノブィリって何だったっけ?地名?何かの事件だっけ?そんな知識で、ましてや自分が歌う為に復活させたピアノの技術じゃとても大きなコンサートで通用する訳が無い。しかしなかなか相手が見つからず、練習用の伴奏ならばということで引き受けることにした。初めて会った異国の女の子はとても大人びていて、何か思い詰めた様な表情に見えた。その頃の彼女はほとんど日本語が話せなかった。ロシアもウクライナもごっちゃになっていた私は“ロシア語でこんにちはって何て言うの?”と質問し、とても早口で“○※□△●☆!(ズドラーストビーチェ)”と返され、たじろいだのを覚えている。ほとんど言葉の会話のないまま、歌とピアノだけの会話。今思えば純粋で良かったのかもしれない。最初のコンサートが終わり、気が付くと彼女との旅は始まっていた。私達の演奏の他に、講演やスライドなどで事故後の様子や子供達のおかれている状況などが紹介される。楽屋に聞こえてくるその内容をいつも彼女は黙って聞いていた。時おり出てくる彼女の名前と労わりの言葉。どんな思いがするのか、側にいる私は絶対に聞くことは出来ない。そして呼び入れられるステージで、私達はただ音楽をやりたいという共通の思いだけで演奏をしていた。ある時彼女に言われる。「私と一緒に終了後のお客様の送り出しをして欲しい」そして私は初めて自分のおかれている立場を意識した。「がんばって下さい!」そう声をかけられ手を差し出されることに、喜びと同時に後ろめたさのようなものを感じた。このままでは演奏することは出来ない・・・その思いが限界に達した時、チェルノブィリを訪れる事を決意した。行って私の立場が変わるわけでも、何かが出来るわけでも無い。ただ単純にその場に行ってみたかった。原点を探すように。正直とても恐ろしかった。何が危険なのか、どう影響があるのか想像することが出来ない。ただ言われた注意点だけを守って行動した。そこで感じたものが私の音楽にどんな影響があったのかは分からない。何もないのかもしれない。気がつくと、放射能汚染という恐ろしい危機の中にいる自分達を強く意識するようになっていた。被災者である彼女と、被災者になりたくない私が、それぞれの音を紡いでいた。

◆ 一期一会・・・自分で自分の歌を歌ってる・・・そんなことが人とのつながりに広がりを見せるなんて、とても不思議なことのような気がする。その場限りの人、ずっと縁がつながっていく人。様々な出会いの中で、大切な人が増えていく。その一人、アピアで出会ったシンガー阪本正義は今の私の活動に大きな影響を与えている。プロのデザイナーとして私のCDのアートディレクションや、歌い手としての人のつながりを与えてもらった。そしてもう一人、ギタリストとしてだけでなく今回CDの制作に携わってもらったまじは、音を交わす相手として最も信頼のおける人である。
更に彼らの先に沢山のミュージシャンとの出会いがあり、昨年から始めた関西への旅のきっかけとなった。

◆ 夢・・・まだわずかだが、歌う私に会いたいという人がいる。細長い日本に点々と。その点の数を一つずつ増やして、日本中を埋めてしまいたい。そんな思いを込めて新しいCDを作った。子どもの頃の夢はほんの少し形を変えて、それでもこの先へと続いている。夢を見ましょう。儚く、現から離れたものでも、見ることに意味があるのだから。美しさも汚さも、隣り合わせのこの世界。せめて夢を見て楽しみましょう。存分に夢を見て最後の扉を開けたなら、そこは夢も現も無い世界・・・Suite Reverie〜組曲 夢〜、今お目見えです!

『アピアで彼女に出会ったのは数年前。ぎこちない挨拶の中で私は「いずれこの人のアルバムに参加する日が来る」と、直感した。というのは真っ赤な嘘だが、数年後お誘いを受けたときは自然に入って行くことができた。旅人どうしが乗換駅の待合室で冗談を言いあうように。これからも旅は続くが、ここに「今」のゑつみが鮮やかに切り取られて彼女の顔のようにまあるい銀盤となったことを喜ばずにはいられない。』(まじ)

『ゑつみさん!新しいCD発売おめでとうございます!!また私にも参加させていただいて、ありがとうございます!思い出になる、とても楽しい一時でした。このCDにあなたの思い、あなたの心がこめられているのがとても伝わっています。是非多くの人に聞いてほしいですね。そして多くの人の心にあなたの思い、あなたの歌が届きますよう願っています!!』
(ナターシャ・グジー)


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