発行・ライブハウス/渋谷アピア
アコースティック情報誌「あたふた」 Vol.102 2005.9月号

ブータン王国を行く

ブータンの市場。野菜や果物はなんでもあった

(文・写真) REIKU

  世界の屋根と言われるヒマラヤ山脈の中で、人々が穏やかに暮らす美しい国がある。それは「ブータン王国」。ブータンとは龍雷の王国と言う意味があり、厳しいヒマラヤ山脈に守られて、外部との接触を拒んできた国。そして、今なお独立独歩で国を営んでいる。とにかく美しかった。狭い国土で標高が200mから7000mまで開きがある厳しい環境でありながら、美しい四季によって人々の生活が支えられている。僕は最初、ブータンは貧しい国だと思っていたが、とんでもない、自然も食べ物も豊富でとても豊かな国だ。
       
          ブータンの路上。ブータンではネパール人が多く、インド製のものも多い。

 僕は以前、このブータンの東のヒマラヤに隣接するチベットには何度か訪れた事もあり、そして、ブータンはチベット仏教を国教としていると知り、ブータンでもチベット独特の世界が見れると期待していたが、ブータンではそれらは所々でしか見ることしか出来なかった。ブータンの人々はチベットの人々に比べてお祈りをあまりしないように見える。チベットの人々はほぼ全員が仏具を身につけているが、ブータンの人々はあまり身につけている人が少ない。たとえば、「数珠」を身につけていないとか、祈りの仏具に欠かせない「マニ車」を持っていないとか。町や村や山や峠にもチベットと比べて仏旗や仏塔が少ない。しかし、ブータンは寺に関してはしっかりと建ててある。この点はチベット以上のものがある。おそらく世界で一番環境の良い寺である。どの寺も大きい中庭があり、風通しも景色も素晴らしい環境を選んで建てられている。寺の内装もかなりよく出来ていた。チベットの寺と比べると保存状態とか質ではブータンの方がよく出来ていた。 とにかくブータンとチベットではあまりにも環境が違う。チベットは厳しい環境で、土地の大半は干し上がっていて一日四季が訪れるほど極端な気候で標高も平均にして4000mはあるだろう。それに対しブータンには美しい四季が訪れるし動物も植物も川もある。この環境の違いからもそれぞれの仏教感の違いがある。
      
           
(ブータンの寺の壁画。自然の中であらゆる生命が暮らしている風景。)

 ブータンの人々にとって仏教を信仰することはもっとも根本的な事で、王国自体も世界で唯一の密教国でもあるから、大切に仏教を守り続けていかなければならい。ビジュアル的にもそうだし、人々の意識もそもうだ。ただ、ピンとこないのが輪廻転生だ。チベット仏教では輪廻転生の道理のもとで回っている。チベットの人々は数珠とマニ車を持ち、少しでも来世で良い境遇に生まれるように常にお経を唱えている。しかし、ブータンの人々はあまりお経を唱えていない。老人ぐらいだった。
 ブータンのチベット仏教は基本的に「あらゆる生命を守る」ことにある。もちろんこれもチベット仏教の輪廻転生と共に基本的な道理だ。チベットでは「輪廻転生」の教えが強く、ブータンでは「あらゆる生命を守る」の教えが強く、この違いは僕はチベットとブータンを行き来し率直に感じた思いだ。僕自身も、チベットの厳しい自然の環境にいると「輪廻転生」を感じ、ブータンのようにヒマラヤ山脈に守られ美しい四季や動物達がいる環境では「あらゆる生命を守る」ことを感じてしまう。
 今回、ブータンを訪れ自分の中でたくさんの生命が生まれて来た。環境や文化や様式は違うけれども、ブータンやチベットに来ると人間も自然界の一部であることの単純な事実に直面してまう。今回は、他人事のように生きてもダメ、犠牲じゃなくて、何かをすると言う事を教えられた。人間は何のために生きているのかとか、人間を支えているものは何なのか。そういつも考えさせられるけど、人間は考えながらまたは祈りながら生きれるだろうか?もっと本能で、出来るだけ頭を使わずに生きる事も必要ではないだろうか。生きると言う事は僕の命が生きる事、僕自身ではない。だから、命ある限り精一杯生きてみよう。
         
         僕らがお世話になったホームステイ先のブータン人の晩飯。


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