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飯浜ゆきこFIRST ALBUM |
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キオクの果実
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私の記憶は、私が守る。私が忘れてしまったら、それは無かったことになってしまうから。笑ったこと泣いたことお母さんのこと・・・ 忘れてしまうのが怖くて、私は歌を歌う。
思い出せ自分
キオクが私を生かしている。 |
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PMF-116 全13曲 52分
\2500 (税抜き) |
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「言葉など覚えるんじゃなかった」、と書いたのは、詩人の田村隆一だった。
もちろんそれは、アイロニーに決まっているが、飯浜さんの新しいCDを聴いていたら、ふと、飯浜さんももしかしてその疑念から出発しているのかも知れない、と思わされた。
・・・・あなたの「ごめんね」と私の「ごめんね」は、同じだろうか違うだろうか・・・・と彼女は唄う。
まじめな人である。かつては私もそうだったはずだが、今は昔である。
言葉から遠くのがれてすっきりしたと思ったら、今度は今度でいろんなモノにつかまってしまった。
もう少し言葉の近所で粘るべきであった。
信じようと信じまいと、疑念なくとも、言葉のそばに居るべきだった。飯浜さんのように、しつこくしつこく少年をひねり出せば良かった。
友川かずき |
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飯浜ゆきこプロフィール
1966年9月 名古屋市に生まれる。
1984年 母亡くなる。
1990年 スキップジャック(BAND)で、
人前で歌える人になる。
1992年 渋谷・アピアで歌い始める。
1993年 一人でステージに立つ。
現在まで、弾き語りでマンス
リーライブを行う。
2001年 ファースト・アルバム「キオ
クの果実」をペルメージ・レ
コードより発表する。
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飯浜ゆきこ Vocal&guitar |
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高相 岳 Guitar & Sound direction |
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『飯浜ゆきこ/キオクの果実』
(ペルメージレコード PMFー116)
約52分13曲入りCD。
アコースティック・ギターと歌だけのプレイなのだが、ぼくにはあまりフォークとは聞こえず、むしろ中南米あたりの民謡のようでもあり、ブルース〜ロック、そしてジャズも感じる。また、むろん別物とはいえ生活情景の描写など、ブックレットに一筆添えている友川かずきを思わせもした。とにかく、みずみずしくて低めの歌声がとても魅力的。クール!(03・3469・9590渋谷アピア)。
(Do It Yourself!・インディー盤紹介・行川和彦)
「ミュージックマガジン」2001年11月号
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飯浜ゆきこについて、お知らせします。
“それは人が造ったものではなく、宇宙が君の魂と響きあった時に聴こえてきたうた。
言葉は華麗に流暢に生まれ、慈悲深い眼差しで立っている。「そこに居ていいんだよ。僕は僕のうたを歌っているからね。」そう言ってギターを弾きはじめる。言葉のブランコを漕ぎながら、正しい歌が聴こえてくる。”
その存在感は圧倒的。ライブハウスの客席で心が暴れ出した。歌の力が溢れていた。
印象的な歌唱がある。阪神大震災の数日後のライブ。最後の歌は「終わりの気持ち」だ。
何度も聴いたその歌は、まるで悲しい出来事を予測していたかのように、意味を持って日本中の空へ広がっていった。
まだある。聴きはじめて間もない頃。その日のライブは凄くて、廻りを忘れる程に歌の魔法にかかっていた。あの黒人女性歌手の名前が頭に浮かんでいた。その場に居ることに震えた。
歌の声で、その時代に花を飾ってきた女性歌手たち。飯浜ゆきこもそうなることに気が付きはじめていた。
アルバム『キオクの果実』のこと。
まず聴こえてくるのは高相岳のギター。いきなりの飯浜より入りやすいかも知れない。全体的に見ても、高相のギターは自由に遊んでいて、ギターファンにとっても楽しめる。
このアルバムを機に飯浜は脱皮した。苛立ちや荒々しさが消えて穏やかになった。自信とゆとりを得た。より多くの人に聴かれるべく、そう
なったと思われる。
聴いて気持ち良くなってくれればいい。また聴きたくなれば、もっといい。そして、飯浜ゆきこに気付いてくれれば、いいなあ。
ヒントは、声を感じること・・・・・・。
楽しみを奪ってはいけないので、これで終わりにしとこう。いつか、飯浜ゆきこの歌の場所で、お会いしましょう。
「それでは、どうぞ!」。
岩のり(岩永則親)。
「インパクション」2001年127号に掲載
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