アコースティック専門ライブハウス渋谷アピア
フォーク/ロック/ブルースを始めあらゆるジャンルのアコースティックBANDや弾き語りの殿堂。
1970年OPENの東京・渋谷の老舗ライブハウス。ソロの魅力を最高に引き出すライブハウス。
2009年7月40周年を向かえ碑文谷へ移転。お食事を楽しみながらライブもご覧頂けます!

APIA Profile
APIA40(旧渋谷アピア)・マスター伊東哲男

 1970年現在のBARスペースに「SPACE LOBORATORY HAIR」通称、SAPCE.LAB.HAIRとしてOPEN。それまでの前身は東由多加率いる「東京キッドブラザース」の常打ち小屋「HAIR」であった。東由多加は寺山修司、横尾忠則らと劇団「天井桟敷」を創立しその名付け親でもあった(最近、映画化もされた小説「命」の主人公である)。東由多加が「天井桟敷」から分立して日本で最初のロックミュージカル劇団「東京キッドブラザース」を立ち上げ、旗揚げしたのがこの場であった。「黄金バット」が大ヒットし話題となり、ブロードウエイのプロデューサーの目にとまり、ニューヨークでのロングランが実現。渡米を機に、その場を譲り受けミックスメディアの表現の実験場としてOPENしたのがはじまりである。

 当初は、音楽、演劇、舞踏、実験映画、美術、写真、イヴェントなどを中心に様々な公演が行われた。その頃は、まだライブハウスという呼び名もなく、小劇場とかアングラ(Under Ground Ciater)とか呼ばれていた。都内でも実験的な表現や先進的なノンジャンルな表現を自由にできる中小の「場」がほとんどなく、公会堂のような大きな箱か、いきなり喫茶店の片隅で唄ったり芝居をしたり、さもなければストリートで警官とぶつかりながら、といった状況であったので、このような場は実に貴重な存在であった。

 映像作家のほしのあきらがアピアの映像部門の柱として上映作家集団「ハイロ」を結成し、映画監督の森田芳光が学生のころフィルムを回していたり、劇作家の山崎哲が劇団を旗揚げしたのもこのころであった。三上寛が青森から上京し渋谷で最初に来たのがこの店であった、南 正人は世界を旅して帰ってきて唄い始めていた。現在パリで活躍している画家の五月女幸雄が人間をオブジェとした前衛的な個展をした折りには警察の手入れをうけ公然わいせつ罪で2週間もブチ込まれ、作品が没収されるなど、表現の尖端に対する当局の締め付け?が厳しかったのもこのころである。

 やがて時代が「しらけ」に染まる中、70年代中頃ごろより音楽のパワーに注目しライブを中心としたスペースに変化、店名も「アピア」と改める。友川かずき、南 正人、友部正人、金沢栄東、中川イサト、中川五郎、シバ、高田渡、etc、らがとてつもなく熱いステージを繰り広げ、生ギター1本抱えて上京してきたばかりの遠藤ミチロウが歌い出したのもこのころからである。ライブの売り上げではとても店の家賃は払えないので別の場所でスナックをやって深夜まで働いた。昼はアピアであたたかい弁当屋の営業も始め渋谷駅周辺のオフィスに出前した。ホカ弁の走りであった。中島みゆきが初めてのアルバムのレコーディングのときに手作りのコロッケ弁当を届けた。アルバムの歌詞カードの最後に「アピアのお兄さんありがとう」と記されていて(お兄さんであった)嬉しかった。いつ寝ていたのだろうと思えるほど人の2〜3倍は働き酒を飲んでいた。オーディションなどしなかったしノルマもなかった。人が人を審査するなどとんでもなかった。歌いたいと来る人とは「何をしたいか」朝まで飲んで話したり、殴り合ったりしていた。だから独断と偏見でやりたい者しかやらんとスケジュールを無理に埋めることはしなかった。(今はとてもそんな体力ありません)

 80年代に入ると時代は高度経済成長の上り坂を加速し始め、安価に入手出来るようになった電子楽器の全盛期となる。テクノ、パンク、ロックを始め多様なバンドブームが到来。大学の音楽サークルも「フォークソングクラブ」は名ばかりで行ってみるとみんなエレキやキーボードをかき鳴らしていた。70年代に生まれたアコースティック系、フォーク系の小さなライブハウスは軒並み姿を消していく。替わりに大資本の傘下によるほとんど中ホールと言っていい大型ライブハウスが現れ始める。弾き語りで活動するシンガーソングライターたちは活動の場を失っていった。全国でもPAや照明の設備を持つスペースは数えるほどしかなくなった。普通の喫茶店やBAR、倉庫や土蔵、民家といった所に追いやられて行くようだった。対照的に原宿のホコ天に若者が群がる。ヤルほうもミルほうもあらかじめ合意のもとの安全地帯だ。70年頃の新宿西口広場の状況を体験してきた僕らにはその違いに笑ってしまう。が、笑ってばかりいられないのはアピアに来るお客たちが、口をそろえて「暗れーこの店」、雰囲気がである。おいおいそんなに世の中明るくなったのかい?真剣に歌っている事の、何処がそんなに暗いのだ!!とやり合う。 
 フリーターが増え始め、ちょっと器用に立ち回れば若者でも札びらが切れるほど潤っていた。金を手にした若者たちは都会の夜をますます明るくしていった。問題意識も何もなく、そんな真面目に歌ってないで、もっとおれたちを気持ちよくさせておくれよと云わんばかりである。チラシ、ポスターに変わって「ぴあ」「シティーロード」といった情報誌がライブスポットの集客のカギを握っていった。
 さらに笑ってばかりいられなかったのは、アコースティック・ギターが姿を消したことである。60年代は小さな町でも1軒ぐらいはレコード店はあって、その店先にはアコースティックギターが何本もぶら下がっていたものだ。それが渋谷などの大都心の何階ものフロアーを持つ大楽器店から姿を消した。1本も置いてないのである。本当の事である。取り寄せるか、受注生産、あるいは輸入楽器店の100万円前後もする高価なものしか手に入らなくなった。これにはマイッタ!!ギターが無くなっては、ミュージシャンも我々もお手上げである。第一、若い新人が育ってこない。さすがにこれで店終いになるかと頭をよぎったのもこの頃である。しかし、60年代のフォークとは異なる新しいアコースティックの表現が芽生えつつあったのが救いだった。それらのミュージシャンにパワーを貰った。時代が誰も注目しないのならそれだけ競争も少ないわけだし、かえって好都合。徹底的にアコースティックにこだわってやろう、そちらに賭けた。いつか必ずアコースティックが復活してその魅力に気づく時がくるだろう。いや、アコースティックや弾き語りの新しい文化を創ってその魅力に気づかせてやろう。時代は廻るものである。電子楽器の音だけにいつまでも浸りきってはいないだろう。生な音の繊細さやぬくもり、温かさを求めるときが必ず来る。先回りして時代が追いついてくるのを待っていようと決意した。そこでまず、始めたのはギターを確保することであった。高価なものは買えないので、セカンドハンドの店や質流れを捜し質のいいものを見つけてはミュージシャンに与えた。結構、掘り出し物があったのはゴミ捨て場だった。60年代のフォークブームで弾いていたギターたちが押入の中でホコリをかぶっていて、結婚だ、引っ越しだ、子供ができて部屋が狭くなったとやらで、ついに捨てられて粗大ゴミに・・・それを拾い集めてはメンテして、を繰り返した。頭の中がアコギ、アコギで一杯だった。今でもそのクセが抜けず、捨てられているギターを見かけるとつい車を止めて拾い上げてみたりする!

 90年代に入ると、PAや照明の質をアコースティック向きにさらに向上させ弾き語りの魅力を引き出す事に力を注ぐ。WOOL SOUNDの秋山武と共に、機材の開発、改造を始める。手作りでスピーカーを組んだり、ギター用の高音質プリアンプを開発したり、周辺機器を改造したり・・・。PA機材がどんどん安価になっていくが、パワーと多機能一辺倒で音質がどんどん落ちていく状況になった。新製品が次々にデジタル化していく。一見便利に何でも出来るようになったように見えるが実はライブの現場では即応性がなく使い勝手が悪かったり、回路の中で信号がちゃんと読み込まれていなかったりとデジタル化される中で見落とされているものが多かったからだ。
 さらにアコースティックの表現の巾を広げインディーズシーンに一撃をと、STALINを解散してSOLOだった遠藤ミチロウと共にレーベル北極バクテリアを設立。さらにアピアで活動するミュージシャンのためにペルメージ・レコードも設立。現在までに40数タイトルのCD・ビデオ・DVDなどの録音・制作を手がける。ライブハウスが無味無臭になりメジャーの登竜門と成り下がってしまった中で、「場」の原点に立ち返り本当に日本から世界に発信出来る文化を育むためのインディペンデントなレーベルだ。WEBでの情報網の確立にもいち早く取り組むんだ。一方、アナログな情報誌「あたふた」も発行。経済大国に比べて脆弱さばかりが目立つ日本の文化のインフラを固めることこそ必要だし、ライブハウスこそ、その一翼を担うべきだろうとの考えで。
 90年代中頃よりアコースティックの復活が顕著になり始める。あちこちの街角にストリートにアコギをぶら下げて歌っている姿が増え始める。原宿のホコ天よりは60年代のそれに近い風景だが、ココロザシがまるで違うのだろう。パリやヨーロッパなどのストリート文化ほど自立してないしアメリカの前衛とも違うようだ。メジャーにつり上げられるのを物欲しげに待っている顔は、街唱と云っていい。アコギ持ったからと行って60年代フォークじゃないだろう。ギターにも時代にも媚びるなよ、もっと今の自分を新しい表現をストリートじゃなくストレートにぶつけてみろよ、アコースティックが復権して喜ばしいのは半分で情けないのも現実だった。楽器店のフロアーには再びアコースティックギターが居場所を得てピカピカと色とりどりに並ぶようになった。エレアコが圧倒的に増えてた。フルアコにしろどちらにしても考えられないくらい安いのがズラリと。厚化粧のベニアで加工した、ピックUPだけしか金かけてないような、楽器の形をしたおもちゃだ。いや、それではおもちゃに失礼だ。昔、ゴミ箱で拾ってきたギターのほうがはるかにましである。日本のギターメーカーのプライドのなさに腹が立つ。売れればいいんだろうが。何処の国でも文化を支える楽器とその楽器作りは大切にされてきた。アコギの本当の音を知らない若者たちはこれがアコースティックと勘違いする。中にはこのチープさがイイという。若者がチープなものに惹かれる感覚は昔からのことでよく理解できるが、チープに表現するのでなくチープさの中に表現が埋没してはどうか?と思う。そんな代物はやがて淘汰されて質のいいものが求められてくるようになると思うがまた、しばらく時間を要しそうだ。

 2000年、21世紀の幕開けを迎える。思えば1970年にこの店を始めたときから今までずっと世紀末だった。繰り返される戦争、地球環境の急速な悪化、etc.あげればきりがない。バブルの平和ボケした最中ですらここだけは世紀末の中を生きてきたように思う。新世紀になって何もかもがチャラになるとは思えず、かといって終わらないドラマにしがみつくのも嫌だ。僕の世紀末のドラマは終わりだ。30周年を期に大改装。現在のBAR&HALLの形にする。REIKUや茉梨絵、由乃ら10代〜20代の若いスタッフが加わる。ニートな若者が増える中、新たなページを描くのに最高の若者たちだ。彼らがまた新たなドラマの主人公となり新生アピアのスタートだった。2003年、突然、32年間共にアピアを切り回してきたママがなんの脈絡もなく他界する。こんなドラマの終わりかたってひどすぎだった。16年間僕の片腕として働いてきた井上博之も独立して高円寺「ALONE」を設立。32年間続けたスナックを閉店し新生アピアに統合、ママをしていた火取ゆきがアピアのスタッフに加わりBARを盛り立てる。RIKUが結婚して樹理が新スタッフに、WEBでの新たな展開が期待できる。大きく様変わりして動き出した新生アピア。素敵なミュージシャンたちと共にこれからどう歩んでいくのか僕も楽しみである。今のことはまた10年後にでも語ることにする!!   2005.5 アピア・マスター 伊東哲男

機材設備

PA・照明・上映・撮影設備ほかドラム、生ピアノ、エレピアノ、G/Bアンプなどを完備しております。

キャパ

イス&テーブル (70席) 〜 スタンディング (100人)までレイアウト可能

PA関係

メインスピーカーはJBL、その他のユニットを使用したオリジナル。6WEY、9台のアンプでコントロールする先新のバイアンプ高音質設計。

ステージモニターはメイン4台(JBLユニットを使用したオリジナル)、サブモニター2台。アンプ2台

CONSOLEは24CH

マイク用・ギター用プリアンプ8CH(高音質オリジナル)

グラフィックEQ 2ch×6台
パラメトリックEQ 4台

コンプ・リミッター 2CH×5台

リバーブ 3台

ディレイ 1台

マイク ゼンハイザー4本、シュアー58×4本、57×2本、他2本

ダイレクトBOX 2台

録音・SE関係

CDプレーヤー、CD-Rレコーダー、MDレコーダー、MDプレーヤー、カセットレコーダー、DATレコーダー、マルチDATレコーダー、PRO TOOLS 、MAC・G5、デジタルミキサー、(様々な形での高音質ライブレコーディングが出来ます)

映像録画上映関係

ビデオカメラ2台、映像用ミキサー、VHSレコーダー、DVDレコーダー(高音質ライブレコーディングが出来ます)、

ビデオプロジェクター、スクリーン設備、8ミリプロジェクター、16ミリプロジェクター(上映会も開催しております)

照明関係

照明70台 調光機72ch スモークマシーン ライトボール ストロボ
演奏機材関係
※変更等ございますので、
お問い合わせください。


Drum set :Bass Drum 20"×1 Floor Tom 14"×1 Toms 12"&10"×1 
Snare Drum 14"×1 
Ride Cymbal 20"×1 
Crash Cymbal 18"&16"×1 
Hi Hat 14"×1
Bass Amp.:(Head)GALLIEN-KRUGER 400RB-V
(Cabinet)YAMAHA
Guitar Amp.:Hot Rod FENDER DELUXE / Roland JC-120 / FISHIMAN LOUDBOX PERFORMER
Grand Piano:YAMAHA C3E Keyboard :YAMAHA P-90