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「昨日」が「機能」し、「今日」が「狂」になる音
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河内伴理
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こんにちは。前号に引き続き、あたふた二度目の登場の河内伴理と申します。
今、私は就職活動という青年期最大級の難関の前に立ちすくんでいる。にも関わらず、私の生活の核には音楽が余すところ無く溶け込み、精神は就活のそれとは、およそ対極へと向けられている。それは十代半ばから後半にかけて、当時抱いていた(勿論今でも抱いているが)得体の知れない不穏なエネルギーを、フルテンの爆音と、無闇に挑発的な言葉に還元し、発散していた頃から変わらない。だが当時私を支配していた考えは、自ら作り出した「敵」と徹底的に相反するものであり続けるというものだった。彼らが白ならば、私は黒、逆もまた然り・・・典型的な勘違いだろう。(勿論、そういう発想が100%間違っているとも言えないが。)大学進学とともに上京し、その傾向は更に著しくなり、より排他的な狭き世界と、ドアーズばかりを信じていた。
しかし転機は訪れる。唐突に。本当に皮肉な話だが、大学二年の夏、あれほど愛して信じてやまなかった爆音によって、軽度の感音性難聴となり入院を余儀なくされ、もはやバンドを続けられる状態ではなくなったのだ。
自分自身と向き合うのではなしに、慣れ合っていたことに対する実に単純明快かつ過激な試練だ。病床では少なからず絶望もしかけた。しかし同時にこれ程自分自身と向き合ったことも今まで無かった。かつて見過ごし、聞き過ごし、或いは拒絶してきたものたちが、私の背後で牙をむき出しにしていることに気付く。そして「反骨」というフィルターを誤った方法で通した、お誂え向きの玩具しか扱えなくなっていたということにも。「敵」の姿に目を凝らし、それに向けてのみ放つことしか出来なかったエネルギーを、自信の内なる声に耳を澄まし、それらに徹底的に肉付け、ないし破壊させる力へと変換する必要性を強く感じた。死ぬほど感じた。
やらなきゃ、やられる。何に?自身の怠慢にだ。当たり前のことだが、私は震えるほどの恐怖で以って、それを実感した。
じゃあ、やられる前に、眼前の日常から背後の過去までも隅々まで味わいつくしてやろうじゃないか!と。恐怖と興奮は常に背中合わせ。私はアコギ一本で、日常という化け物の巨大な口の中に飛び込む決意を、病院のベッドの中でステロイド点滴を打ちながら頭の中で作った「君のお母さん」という歌のなかに注ぎ込んだ。新たな真剣勝負開始の合図。「昨日」が「機能」し「今日」が「狂」になる音だ。
「耳事件」以前からもアピアでは歌っていたが、以後は本当に衝撃の連続だ。勿論、ボコボコに打ちのめされるのが常だが。それでも、刺激的な出会いがあるから私は歌い続けている。決して正座をして待ってなどいない、ただそこに「在る」濃密な(いささか濃密過ぎて非現実的な)現実を感じる為に、私はギターを持っていくときも、そうでない時でも拙い触手を磨いて、アピアの扉を開くのだ。
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