発行・ライブハウス/渋谷アピア
アコースティック情報誌 Vol.110 2006.5月号

中国人民とモンゴリアンに

揉まれながら…
独り籠城

 不安に嗚咽、期待にステップを踏みながら、懲りずにまた何かを求めてリュック一つ背負い旅に出る私。今回は中国&モンゴル。理由は安そうだから!前回同様、(旧)社会主義国ばかり選んでしまうのは親父が“赤”かったからか!?と思う節もあるが、やはり資本主義にどっぷり浸かっている人間には興味がある土地ですよね。中国の北京に飛行機で入り、陸地から寄り道しながらモンゴルを目指した。
 中国。北京中心部は全然面白くない。中国全土に言える事だと思うが、観光客が集まる所はかなりキレイに造られている。それより少し離れると、どんどんリアル中国が顔を出してくる。迷路のような路地の塀の中に更に迷路のように住居が密集している胡同と呼ばれる共同体の集団住居。地方に行けば、どんどん荒涼としてくる。そこから中国人民は湯水の如く湧き出てくる。砂埃と排ガスが舞い上がり、鼻水は黒くなる。夕暮れ時にはチャリンコの大群に襲われる。そんな風景に“赤”は不思議と栄えるんだ。
 奴ら人民には何か無い。基本的な何かが…。列車で下車する人なんか待たない。突っ込む。喧嘩が始まる。待っていれば、後ろから舌打ちと小突きの嵐。切り込み隊長は窓から大量の荷物を入れ、席を占領する。戦場だ。走り出し平静が訪れたかと思うと、奴らは食い始める。とにかく食う。やたらと食う。そして捨てる。床に全てを捨てる。バカバカ煙草吸う。やたらタンを吐く。当然、床に。常にヒマワリの種をつまみ、床はそれの殻だらけで、足が埋まる。
 でも、老人には席を譲る(他民族の老人には冷たいが…)。隣人を誘って博打を催したり、同じボックス席の人々同士の会話は絶えない。日本人の私にも興味津々。日本人と分かるといなや、人民達は集まってくる。筆談の会話が始まる。人民達は、「ああだ、こうだ」言い合って質問の内容を決めて私に提出する。私が答えるが、上手く「中国語」の漢字が書けないので、また人民達は「ああだ、こうだ」と相談を始める。そして、お互い合点がいき歓声があがる。戦争の事も聞かれた。彼等は「反日感情」というよりも事実を知ってもらいたいようである。基本的な何かが欠落しているが、日本にない暖かさがある。日本の電車でみんなが一列に座って携帯電話を静かに見つめているのが奇妙にも感じられる。
 楽しい列車の旅でもあるが、やはり傷跡にも触れた。同じボックス席の向かいに座っていた老夫婦。おばあちゃんは私のiPodを見て、覚えている日本語を楽しそうにおじいちゃんを見て喋り出した。でも、おじいちゃんはキチンとした姿勢で笑みを一つも浮かべずに固まったままだ。そういえば私とは一度も目を合わせてくれくれなかった。まだ戦争は終わってないようだ。
 ジープに12人乗り込んだり、荷台の隙間に押し込められたりで国境を越え、列車でモンゴルの首都・ウランバートルを目指す途中の風景は、とても「世界の車窓から」では扱う事が出来ないが、非常に印象深い。唯、延々とゴビ砂漠。あと半分は唯、延々と冬の草原。そこには大地があった。地球があった。美意識よりも体の裡から恍惚とした何かを感じた。そして、自分が地球の「生き物」だと実感した。そんな不毛の土地の駅しかない駅に人が降りる。島の様にポツネンと小さな集落がある。彼等を想い、旅情は深まる。
 …とワイルドでロマンチックな車窓の旅もウランバートルの駅を降りれば、日記の出来事に変わる。ウランバートル。まず寒い。というより痛い。三月でー5℃〜ー25℃ぐらい。だから彼等は油を多く摂る。これが島国の坊やには堪らない。ガソリンを飲んだように胃にのしかかる。肉は臭い。牛なのに臭い。水を飲んでも、煙草を吸っても、そのニオイがする。路地を歩けばスリに当たる。市場に行けば5人ぐらいに襲われ、あらゆるポケットに手が入る。大人も子供も「金をくれ」と言ってくる。冬のモンゴルに来るなんて、よっぽどの物好きらしく観光客はまるっきりいない。
 都会はやはり旅人には冷たく感じる。すこし都会を離れ、ゲルに泊まる。どんなに近代的な建物(おそらくツーリスト用)があっても彼等はゲルに住んでいる。ゲルの主人の自宅に招待され手厚い歓迎を受ける。ワンルームの家。でも、そこにはこの極寒を耐え抜く為の、孤独な草原ライフを生き抜く為の温かさがあった。
 静寂な景観に唯鳴り響く馬の吐息と馬使いの男の子の口ずさむ歌。ゲル主人のリズムを越えた(笑)ダンス。一面の白。満天の星。それらが疲れた私を癒してくれた。自分でもこの季節に来るのは物好きだと思うが、何処でも何でも独り占め出来る快感はきっと夏では味わえないだろうと思った。
 日本は良くも悪くも様々な様式や礼儀作法(マナー)が欧米に似ている。私は今まで欧米しか行ったことがなかった。欧米はホームだった。今回の中国・モンゴルは完全にアウェーだった。確かに基本的な何かがない、とても大変だ。だけど、世界は欧米が中心ではなかったのだ。この発見が私にとっては快感だった。そして、その中で過ごす事が刺激的だった。英語がまるっきり通じない世界でもあった。でも、それでも何とか伝えようという人達がいて、それに何とか応えようとしていた私がいた。何気ない生活の一コマに全力で応答し合った。沢山の温かさがあった。
 ああ、きっとまだまだやめられない…。 (独り籠城・記)

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