発行・ライブハウス/渋谷アピア
アコースティック情報誌 Vol.109 2006.4月号


ここにか書かれた言葉は、文字ではなく、息遣いだ

青木研治

 思えば、ずっと僕は、「ここではない何処か症候群」と「これではない何か症候群」に罹っていたような気がする。
もう、ひとむかし前の話になるのだけど・・・・・・。当時、大阪で、相棒と一緒に漫才をやっていた僕が東京へやって来たのは、東京に対して、コンプレックスにも似た憧れを持っていた相棒の強い誘いを断われなかったからだと、他人のせいにすることも出来るのだけど、ぶっちゃけて言ってしまえば、あの時、僕は、ほとんどウケなかった自分のお笑いのセンスを、大阪というベタな土地のせいにして、アメリカンドリームならぬ、ジャパニーズドリームを、東京という都市に求めたからだ。本来、大阪は、誰もが認めるお笑いの本場であるにもかかわらず。
今思えば、僕にとっての上京は、状況的には都落ちだったのかもしれない・・・・・・。
そして、僕が東京へやって来て1年くらい過ぎた頃、「所詮、お前のお笑いセンスなんてやつは、その程度だったのさ」と沈黙に囁かれながら、残刻なほど明確な笑い声を獲得する生存競争の中で敗北するかのように、コンビは解散。その後、相棒は違う道を選び、それでも僕は、「これではない何か」を求めて、ピン芸人として3年ほど活動した。そして、鳴かず飛ばずのまま、遂に芸人として生きることに挫折した僕は、またもや「これではない何か」を求めて、ドラマや映画のシナリオをせっせと書いて、コンクールに応募し始めたのだ・・・・・・。
それは、「ここではない何処か」を探すことも見つけることも出来ないまま、東京に住んでいる自分に対して、「これではない何か」をやり続けることだけでしか、意味と理由を見つけられなかったからだ。
 だけど、やがて、ありもしないドラマをでっちあげるために、ありえないストーリーを考えることに頭を捻って原稿用紙に膨大な文字を綴っていくことに疲れ、日常の中で、少しずつ書き留めた詩が、ちょうど100個出来たのをきっかけに、僕は、またもや「これではない何か」を求めて、今度は、シナリオを書くことをやめて、詩集を創ろうと思い立ったのである。
 僕が書きたいドラマは、原稿用紙に書くものではないし、書けるものではない、と。そして、その詩集が出版される前に、とにかく自分のことを、自分が詩集を出版することをたくさんの人に宣伝しなくてはいけないと思っていた矢先、僕は「ポエトリーリーディング」いわゆる「詩の朗読」というジャンルがあることを知ったのだ。
それから、僕は、カフェで行われているオープンマイクに参加して、詩の朗読を始めたのだ。
そこには今まで感じたことがない、新しい刺激があった。
だけど、やがて、カフェで行われるオープンマイクのイベントに、なんとなく閉塞間を感じたのだ。それは、とにかく都会はふるさとよりもムラ社会だからか?それとも、とにかく丸い豆腐も切りようで四角になるからか?それとも、とにかく生き延びていくだけの毎日に何の意味があるのだと疑問をもったからか?
 そして、またもや僕は「ここではない何処か」を求めて、友と呼べる仲間も見つからないまま、とにかくとやかく誰かに陰口を叩かれる前に、僕は渋谷のハチ公前で、詩の朗読を始めることにしたのだ。
 北風をもろに浴びながら、目の前を通りすぎてゆく人たちに向かって、ひたすら、詩の朗読するのは、とてつもなく孤独だった。
だけど、僕は、そこで、路上で「生きている」という実感を数えられないくらい味わったのだ。同時に、路上で詩を叫ぶ僕の声は、いつも街のノイズに混ざって、やがてノイズそのものになっていくことも実感しながら・・・・・・。
もはや詩集を売ることなんて、2の次になっていた。
 そして、僕はまたもや「ここではない何処か」と「これではない何か」を求めて、音楽のイロハもまったくわからないまま、いわゆるライブハウスで「ただの詩の朗読だと言わせない何か」をやりたくて、渋谷アピアの扉を叩いたのだ。
今から、ちょうど5年前の春のことである・・・・・・。
 それから、いくつかの季節を通り過ぎた。時は、いつも恐ろしいほど誠実にかつ正確に、一瞬を刻んでゆく。
時間はエイリアンだ。油断していたら、あっという間にやられてしまう。
だから、僕は、いつまで経っても変わらないように、常に変わり続けようとするのかもしれない。
数えられる時間の中で、数えようとしなかった出会いを重ね、生まれ変わる皮膚に囲まれ、まれに、あたたかさに焦がれ、呼び込まれながら・・・・・・。
 確かに、いつのまにか擦り減ってしまった感情がある。
だけど、擦り減った分だけ、確かに膨らんだ感情がある。
そして、どれだけ月日を重ねても、まるで、大地にしっかりと根付いた因縁のように、今もなお、昔と少しも変わらない志が、僕の心の中に、凛と鋭く聳え立っている。
弁当箱に種を残す。
だから、僕は、詩集を創ろうと思い立ったのだ。
またもや!「蒼き顕示」的に。ここ数年続けてきた僕のライブ音源を収録したCD‐R「A‐scat」と一緒に。
 声と文字という、まるで矛と盾のようなまったく違う角度で切りとった言葉で、ひとつのカフェを作るように。「ここではない何処か症候群」と「これではない何か症候群」に罹っていた僕と「何処でもないここから症候群」と「どれでもないこれだ症候群」に懸かった僕との間に、そして、僕とあなたとの間に、決して堕ちることのない7番目の橋を架けるために。
 そうさ!
世界発路上往きの、性懲りもなく起こる衝動は、程度はさておき永遠だ!
それは、蒼き顕示的死亡遊戯だ。
It's alright'Ma! 
正しい判断をしたかどうか?なんて、きっと
後になってからしかわからないのだ、ずっと
故に今を抱きしめよ、ぎゅっと
そして、未来で過去の解釈を変えたまえ、すっと
何故って、それはあなたにしかできないのだから 
人生は、いつも50音順に進んでいく。
だから、きっと、僕の歴史は言葉になっていない「あ」という鳴き声をあげてはじまり、そして、「ん」という言葉にならないうめきをあげて終わりを告げるのだろう。
だけど、人の生き方は50音で奏でるスキャトだから。
僕は僕なりのスキャットを。
そして時々、とっておきの言葉で感情の発端に最先端の意味をつけよう。
 ねえ、知ってる?青木という樹木があるんだよ。スギ林や常緑広葉樹林内に育成していて、その茎は、はじめはまっすぐ伸びるのだけど、途中から2つ〜3つに分かれ、これをくり返して枝を広げるんだって。ミズキ科の常緑低木でね、葉は大形で厚く光沢があって、雌雄異株で雌花は小形で目立たないけど、雄花は大形で紫褐色の花をつけて、冬には、楕円形の赤い実が熟すんだって!
そうさ!
僕は、なれの果てに「詩」というものにたどり着いたわけじゃない。
 すべては、志と心意気が枝葉を広げながら、言の葉の中で、光合成した声が花を咲かせて、寒さが厳しかったこの冬に、なれの果てではなく、挙句の果てでもなく、我が熟れて、やっと実となった詩集とライブ音源を、研いで治めるためだったのだ。
 だって、僕の名前は「青木研治」だから。
 ぜひ、今、この文章を読んでいるあなたに、詩集「蒼き顕示」に目を通していただければと、ライブ音源「A‐scat」に耳を傾けていただければと、僕は切に願う。
だって、南の極地に住んでいるペンギンたちは、きっと、自分だけの暖かい場所を求めて南へ飛んでいった、都会のカラスたちの生まれ変わりだから。
白い紙の上に書かれた黒い文字は、すべて僕の息遣いの生まれ変わりだから。
風のように消えていく音の粒は、キラキラの光の粒だから。
きっと、浮かび上がってくるはずだから・・・・・・。
それは、氷山の一角にすぎないのだけど・・・・・・。
 そうさ!
僕は、あなたと蒼き空の上で集いあって、
とっておきの物語を共に創り出したいのだ。

青木研治2nd詩集「蒼き顕示」遂に発売!

渾身の詩集224P!そして60分を超える衝撃のライブ音源!
あなたは、見逃してしまうのか?!

詩集「蒼き顕示」&ライブ音源収録CD‐R「A‐scat」 
価格2000円(full-swing RECORD)


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